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私の「資格」の話。

随分、久しぶりになってしまいました。

やっと書ける程度に戯言が集まってきたので、
繋げて遊んでみようと思います。

自分で形を決められるパズルみたいで
楽しいですね、やっぱり。


まぁ、そんなことは置いておいて。

私は今年の4月から社会人になります。
お仕事は10日から始まります。

そうです、2日後の笑笑

早めに社会人初めて、4月から始めた人に
比べたらスタートダッシュできまっせ、
ってやつですね。

ちょい早です、ちょい早。

正直、「社会人になれる、楽しみー!」
とかなんとか言っておきながら、
そんなことは微塵も思っておりません。

不安しかありません。不安だらけです。
なんというか、怖いって感じです。

ただ漠然と、「社会人」という責任が
今まで以上にのしかかるレッテルとか、

これから向き合うことになるであろう
知らない人達の群れとか、

覚えなければいけない大量の情報とか…

それを思うと、怖くて仕方ありません。



で、それがなんでかな、って
ぼんやりと、頭の奥で考えていたんです。

そうしたら先日、知り合いのライバーさんの
ところで、皆が持っている資格の話に
なりまして。

いやぁ、なんか私の周りにいる大人って
凄い人ばっかりなんですよ。困っちゃう。

皆、いろんなもの持ってるわけですよ。

こういう話を聞いて劣等感を
抱いていると、どっかの偉い人はたぶん、

「他人と比較しちゃいけないよ」
「誰かと比べないで」
「ナンバーワンじゃなくてオンリーワンだ!」

とかなんとか言うんでしょうが、
そんなの綺麗事ですよ。

だってそもそも、「資格」ってそういうもんだと
思いませんか?

資格って、要は、
「私はこれが出来ますよ!」
「他のあの人と違ってこれが出来ます!」
って、それを「証明」するための
ものなわけじゃないですか。

つまりは、それが効力を持つ限り、
自分を他と差別化してくれるものだと
私は思うわけです。

その資格を行使する人がいる以上、
その裏ではそれで差をつけられる人がいる。

だったら私のこのネガティブな劣等感は
当然のものだと思うわけです。

こう言うと、頑張って勉強をしてきた人たちに
文句を言っているように聞こえるかもしれませんが
決してそういう訳ではありません。

誰かに証明できるほど頑張った証なのだから、
どんどん使うべきだと思っています。



ただ、私が得意なことって、
私だけが特別にできることじゃないんですよね笑

「藤田さんはコミュ力があるから」
「藤田さんならどこでもやっていけるよ笑」

ニコニコ笑ってありがとうございますと
返事をする裏で、心の目は相手を睨みつけて
嘘こけ、と思ってしまいます。

コミュ力があるって、要は、話上手って
ことかもしれないですけど、私はそれを
証明する「何か」は一切手にしていません。

私はこうやって、言葉にするのが好きです。
文章を書くのが好きですが、

これが私の「得意」であると
証明してくれるものはまずありません。

私は日本で生まれて、日本で育った
日本語ネイティブの話者ですから、

こうやって話すことも、文章を作ることも、
特段誰かと差をつけられるものではないわけです。


そう思うと、私がこの先、責任を背負ってまで
その場に居る意味ってなんだろう、と
私は考えてしまいます。

極端な話、私に社会の中で生きる資格があるのか、
ということですよね。

ろくに何も持てない人間が、
世の中にあるものを消費し、誰かの時間を奪い、
実家の一室を占領して生きる資格があるのか。


まぁ、そんな思考を巡らせてる程度の人間ですから
私は自信がないわけですね。

それが私の、不安だし、怖い。の正体でしょう。



と、言った感じで久々に長々と思ったことを
書いてみましたが。

戯言パズルを1時間ほど続けて出来上がったのは、
情けない私の絵でしたね。

そうです、私はこんな人間です。

ネガティブな思考で歪んだこの絵を、
それでもいいと愛してくれる人がいるのであれば、

それは多少なりとも、
私に生きる資格があることの証明になってくれるの
かもしれません。


ということで、久々のそれでした。

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