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みどりみどり | 短編小説

 或る日突然、緑以外の色がてんで見えなくなってしまった。
 医者も原因は分からぬと云う。変わりに近所の神社を勧められたが、私は断った。無駄なことはしない主義なのである。
 以前と変わらず鮮やかに視えるのは、元から緑色をしていたものだけとなった。空も、足元の土も、芳しく薫る花でさえも。この瞳になってからは、総て仄かに緑がかったグレエに視える。だがそれも、慣れて仕舞えばそうそう不都合はない。結局、戸惑ったのは最初の五日程だけであった。
 一番変わったのは村人たちの態度であろう。旧い因習に囚われたこの村では、異端者は即ち鬼である。皆、遠巻きに邪険にしているのが知れる。
 それでも村を追い出されないのは、偏に私の家がでかいためである。私に臍を曲げられるのは、村人たちにとっても、ちょいと困るのだ。
 態度がひとつも変わらなかったのは、村の外れに住む、芳助(ほうすけ)という男だけであった。芳助は頭の悪いわけではないが、何時もどこかボンヤリとしている。それで、阿呆の呆助と呼ばれていた。
 私は少し、芳助と云う男に興味を持った。
 それからとても自然な形で、私たちは友人と成った。二人とも朝の散歩を好むと知ってからは、何方ともなく待ち合わせ、隣町の桜並木を眺めて帰る。それが日課となった。

「欧州の言葉で green eye とは、嫉妬深いことを指すらしい」
 或る日彼はそんなことを云った。
「君には凡そ、似つかわしくない形容詞だな」
「……そうかな?」
「おや、違うのかい? 君は余り、物事には執着しない性質だとばかり思っていたが」
「そんなことは無いさ」
 その日は皐月も終わりに近付いた頃であった。花は疾うに散っており、眺めに来る人は少ない。鮮やかな葉が、夏を今か今かと待ち侘びる様にただ茂っていた。
 視界を覆い尽す、緑、緑、みどり。
「……今も総ての色が視えている君が、憎くて憎くて仕方がない」
 気が付けばそう云っていた。
 芳助は、驚いた様に一度此方を振り向いた。それから、如何にも何か云いたそうに唇を開いたが、結局何も云わぬまま顔を戻して仕舞った。釣られる様にして私も視線を上げれば、木の天辺で何かの鳥がピイヒョロロと鳴くのが見える。
 その余韻に乗せる様にして、彼は静かに告白した。
「……僕は緑が視えぬのだ」
 一瞬、時が止まった様だった。其れ位、彼の言葉は私にとって衝撃だった。
 暫く呆然と彼を見詰てから、私は内緒話をする様にして尋ねた。
「…………何時からだ?」
「さぁな。憶えている限りでは、ずっとだ。気が付かなかったか?」
「全く。いや、しかし……」
 思い返してみれば、引っ掛ることはあった。
「僕は緑以外は全部視えるからな。色の付いていないのは、緑と思うことにしているのだ」
「……君は」
 屹度何時もボンヤリとして居る振りをするのは、異端を悟らせないためのことなのだ、と。
 私は漸く気が付いて、憎らしく思うより寧ろ舌を巻いた。
「……聡い男だな、君は」
「まさか。阿呆の呆助だぞ」
「そんな文句を、疑いもなく信じていた私の方が阿呆だったよ」
「……僕は君の様に、金も家柄も持ってはいないから」
 芳助は緑の――否、彼の瞳から視れば恐らくグレエの木を眺めながら、淡々と言葉を紡ぐ。
「鬼憑きと知れれば、生きてはゆけないのだ」
「そうか」
 ざあ、と風が吹いて、木の葉が一枚二枚、私たち二人の眼前を通り過ぎていく。
 芳助がまた、口を開いた。吟ずる様な調子であった。
「新緑とやらは本当に生命の輝きに満ちて居るのか。赤く成る前の紅葉はどんな色をしているのか。声の奇麗な鶯は、色もまた奇麗なのだろうか」
 そこまで一息に云って、彼は私の方を真直ぐに向き直った。
「僕は君が羨ましい――……」
 グレエの瞳が、此方を射す様に見詰ていた。

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作者コメント

目指したのは大正文学でした。雰囲気だけ……。
※ほかのサイトにも載っけてます。

サポート……お金もらえるの……ひええ って感じなんですがもしサポートしたい方がいらっしゃればとてもありがたく思います👼 貯まったら同人誌とか自費出版とか、本として形にすることを考えようかと思います。