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秘事は睫

小分けに冷凍しておいた冷やご飯をチンする。
安さと白いという理由だけで買った我が家のオーブンレンジは、500wまでしか出力できない。毎回上手く温まらなくて、追加で温め直してアチアチになってしまう。
端と端を爪でつまむようにして持ち、ラップを広げてサラダボウルに落とす。常温のレトルトカレーを混ぜ込んだら、ちょうどいい温度になった。

うちには机がないので、ドレッサーとキャビネットを並べて長机のようにして使っている。キャビネットの天板にパソコンを置き、ドレッサーでご飯を食べるのがいつものスタイルだ。
パソコンを開き、noteにログインする。自分の文章を、脳内で、週末に読んだ「深い河」と照らし合わせながら読んでいった。
遠藤周作と私はどう違うのだろう。いや、何もかもが違うのは明らかなのだけど、文学的にどこを抑えればあっち側へ行けるのだろうと考えながら。


「あっ」

特にきっかけもなく、突然ひらめいた。私の文章には“情景描写”が極端に少ないんだ。
瞬間、師匠の「あなたの文章からは光景がイメージできない」という言葉が思い出される。
ああ、そういうことなのか。私は自分の内側ばかりを書いているから他人から共感されない。近い感受性を持つ人には支持される一方で、万人に読まれる文章にはならなかったんだ。すごいすごい、これは世紀の大発見だぞ。

15年も書いてきて、こんなことにも気づかなかった自分におったまげて仕方ない。これを自然とできることを文才と呼ぶのかなと思ったりする。

他人とか風景とか、自分の外側にあるものは見えすぎるほど見えるのに、内側にあるものにはあまりにも気づかないものなんだ。灯台下暗し、岡目八目、秘事は睫。それにしても昔の人は、人間を本当によく知っている。

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