近況報告をするだけのともだち

 懐かしい人シリーズがなぜか男性ばかりでなんでだろうと自問自答。同性の友達は「ずっと仲がいい」か「結局疎遠になる」の2通りで、結局疎遠になる子についてはあんまり語ることもないからじゃないかなと考えた。(ずっと仲がいい子は文章にするより前に「好き」を本人に伝える傾向が私にはある)その点、異性の友達は私が女子大に通っていたのもあって不思議な出会いが多かったり、私にとって未知との遭遇的な部分が多かったんじゃないかな。そんな思考の中で、Fuune(仮名)という女の子を思い出した。

 大学1年生の後期の英語の講義が同じだったFuune。私の大学は大学2年生まで英語の講義があって、それはレベル別に分けられて学部も学科もミックスされた大学内異文化理解の場だった。午後1番のその講義はたまに眠くて、講師もそれを見越してか毎回席をシャッフルする謎のイベントが発生した。そのせい、というかお陰で、私たちのクラスは比較的みんながそれぞれの顔と名前を覚えて仲良くなっていたように思う。

 Fuuneは福祉系の学部の子で、少し珍しい名前だったのもありよく覚えている。大学の講義ではそこでしか関わりがなかったのに、大学3年生、4年生になると彼女とキャンパス内で鉢合わせすることが多くなった。福祉系で研究や論文が欠かせない優等生な彼女と、芸術系だけれどもどこか生真面目さがありほぼ毎日大学に通っていた私。生活リズムや下校時刻が重なりやすかったのかもしれない。
 私の一方的な認知だったのかもしれないが、彼女に会うとほぼ必ず声をかけて近況を報告しあった。就職がどうのとか、卒業研究がなんだとか、当たり障りがないことを。けれど、それを聞くと私たちの進路が全く違っているとわかることを。彼女は私の名前を覚えていたのだろうか。彼女は私の顔を見て、知っている顔だ、と思っていたのだろうか。答えは彼女と神のみぞ知る。

 そんな不思議な関係だった私たちだが、SNSの交換もしていないので卒業と同時に会うことも、連絡を取ることも、ばったり鉢合わせて近況を報告することもなくなった。学部が違い、きっと人生の道も大きく違う私たち。彼女とのその道が交わることはこの先あるのだろうか。彼女と最後に話をした大学4年生の9月の夕方を思い出してふと、元気だったらいいな、なんて考えた。

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