紙切り

スギ花粉症がいまほど一般的ではなかったころのお話。
「気のせいじゃないの?」「神経質だからそんな病気になるんじゃないの?」と言われていたころ。

くしゃみと鼻水が止まらず、英会話学校の小さな個室で生徒と一対一のプライベートレッスンを担当していたわたしは、市販の鼻炎薬を服用した。効果はてきめんで鼻水は止まったものの、こんどは唾が出なくなって喉がからからに渇いた。喉の奥が腫れ上がったように感じ、呼吸がしにくくて苦しくなるほどだった。

たまらず駆け込んだのが、京都の台所と言われる錦市場から十数メートル南へ下ったところにあった耳鼻科医院だった。お医者様は八十路に手が届きそうな好々爺。受付はその伴侶とおぼしき上品なおばあさまだった。

市販薬をのんだら唾が出なくなり、喉が腫れ上がったような感じで息苦しいと訴えると、「薬局で売ってる薬は誰でも効くように強めにしてあるからな。悪い薬というわけやないで。うちが出す薬も成分は同じやけど、弱めやから大丈夫やろう」との説明だった。

老先生のおっしゃるとおり、その薬はわたしに合っていたようで、花粉症の症状はちゃんと抑えながらも、唾が出なくなるということもなく、無事に仕事を続けることができた。花粉の飛散が終わるまで2週間に1度程度、わたしは先生のところに通いはじめた。

いつも患者でいっぱいの医院だった。混み合った待合室で気長に待っていると、やがてようやく名前が呼ばれて診察室に通されるのだが、診察室の中にも椅子が3つほど置かれていて、そこでさらに待つことになる。当時はプライバシーという概念が薄かったせいか、待っている患者の椅子は、治療を受けている最中の患者の斜め前にずらりと並んでおり、順番を待ちながら他人の治療を眺めるような格好になっていた。

ある日の診察では、待合室に入ると、母親と幼い娘がすでに順番待ちの椅子に座っていた。老先生は患者のほうを向いて立っており、わたしたちには背を向けている。その老先生のすぐ横に置かれた椅子に女の子、その隣におかあさん。わたしはおかあさんの隣に腰を下ろした。女の子は絵本を手にしており、おかあさんがそれを読んであげていた。

数分後、先生がふと女の子を振り返り、治療の手を止めた。そしてかたわらの棚から白い紙と鋏を取ったかと思うと、踊るように体を揺すりながら紙を切り始めた。

治療の一環かと思ったが、そうではなかった。老先生の体の動きと、複雑な曲線に切り抜かれていく紙から、いま目の前で繰り広げられているのは「紙切り」だとわかった。先生は順番を待っている女の子を喜ばせようとして、紙切りをしているのだ。

ところが、女の子は絵本から目を上げようとしない。

おかあさんは先生の動きに気がつき、絵本を読むのをやめて先生の手元を見ている。老先生は無言で、それでも楽しそうに体を揺すりながら紙を切り、またたくまに純白の見事な蝶ができあがった。

おかあさんが言った。「ほら、見てごらん、先生がチョウチョを作ってくれはったよ」

女の子は絵本から顔を上げた。そして蝶に一瞥をくれたが、すぐに絵本に目を戻した。紙から生まれた美しい蝶には、なんの興味もないようだった。

わたしは老先生が気の毒になった。ところが先生はがっかりしたそぶりも見せず、なにごともなかったかのように鋏と蝶を棚へ戻すと、治療中だった患者のほうに向き直った。

治療の途中だった中年男性の患者は、喉の奥に薬でも塗ってもらっている最中だったのか、やや上を向き、口を半開きにしたまま待っていた。

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