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当たり前という檻、普通という名の鎖

最近、日本文化に息苦しさを感じることがあります。


日本は好きだし、古き良き素敵な文化も多いです。


海外に行って帰れば
やっぱり日本は良いって思うし、落ち着きます。


ただ、日本人は私も含めて真面目すぎる。


「私が日本に絶対に帰りたくない理由は、
    私には同調する能力がないからです。」


というアメリカンジョークで会場を沸かせた、
ノーベル物理学賞受賞の真鍋淑郎氏の言葉。


考えさせられた日本人も多いようでネットニュースにもなっていました。


私としても、最近感じていた息苦しさを
代弁してくれたようでスッキリすると同時に、
自分の中の同調精神を省みるきっかけになりました。


私が最近日本の息苦しさを感じるようになった
きっかけは結婚に関して考えるようになったことです。


結婚に関する記事や夫婦別姓について
考える記事を過去に出しています。


それらを考えるうえで、やはり
日本のなかにある “当たり前” が柔軟性に欠け、
私の考えがどうしても受け入れ辛い
世の中であることを感じました。


まるで檻の中にいるような居心地の悪さ。



今でこそ、家事育児は女がやるもの、
という考えは古くなりつつありますが、
やはり根強く価値観として残っている部分があります。


その為、SNSやネットニュースでも
これらの夫の自覚の低さを訴える内容をたまに見ます。


親世代の話であればありえる話も
まだまだ現代に残っている価値観で
変えていくのは難しいなぁと感じています。


それほどに “当たり前” を変えるのは
大変だということです。


価値観というのは生きていく中で
知らず知らずに自分の中にあるもの。


意識して作っているものもありますが、
知らず知らずのうちに育っていた
“当たり前” についても気づき、
向き合うことができるようになりたいと最近思うようになりました。


ところで、
私の親は「普通」という言葉が口癖です。


本人は気が付いていないようですが、
どんなときも

「普通は〜」
「普通そんなことしないでしょ」
「普通でいなさい」 と。


そんな言葉とともに育つと、
自分が普通じゃないんじゃないかと思うときがあります。


(実際、独特な感性は持っていると思います。笑)


でも、「普通」ってなんだろう。
とふと思ったんです。


紐解いていくと、自分の中にある
「こうあるべき」という固定概念が
そのような縛りを作って
「普通」という型の中で生きようとしてしまうのではないかと。


そう考えてみると、たしかに私も
周りからの目をとても気にしているのです。


周りからの目を気にすることで、
段々と自分を鎖に繋いでいたのでした。


親の言葉が悪いとかではなく、多くの日本人は
“協調性”という名の美徳のために、
自分を知らず知らずのうちに
「普通」の鎖に繋いでいるように思います。


それは、安心できる一方で、
自分の人生に自由度がなく、
気がつけば諦めていることもあるのではないでしょうか。


海外と違って日本では一般的に
大学を卒業すればすぐに就職になります。


海外では、大学卒業後に
世界一周旅行に出てから就職活動をする人もいる
という話を聞いたことがあります。


アメリカに関しては採用する側が
相手の年齢を聞くこと自体が、
法律で禁止されているそうです。


それほどに、一人ひとりが年齢に関係なく
自分の人生を作り上げているようにも思います。


年齢や社会の「普通」や「当たり前」に
縛られることなく、本人の意志と覚悟のもと
自分の人生を作り上げることができれば、
本当はみんなが “自分らしく” 
頑張れるように思うのです。


日本人は頑張り過ぎという話はよく聞きます。


ただ、それは社会や年齢、立場にある
「当たり前」や「普通」の鎖を解き放すことで
“自分らしさ” を取り戻すことができるのでは
ないかなと最近考えるようになりました。


そして私も “自分らしさ” を取り戻すために
自分の中の鎖を解き放していきたいなと思っています。


そのヒントは “当たり前を疑うこと”
から始まるのかもしれません。


自分の中にある小さな「普通」や「当たり前」を
見つけていき、解放してあげること。


そうやって自分に向き合うことを
大切にしていきたいなと改めて思いました。

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