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素直さってなんだろう 〜心に城下町を作ってみたら平穏が訪れた話〜

私が大切にしていることの一つに
“素直さ” というものがあります。


この“素直さ”、初めて意識するようになったのは中学生のとき。


部活動の指導者に
「素直な心を持って稽古に取り組みなさい」
と言われたことがきっかけでした。


この “素直さ” 、大切なこととはわかっていても、
素直かと聞かれれば自信を持って「はい」とは
答えられませんでした。


今も、大切にはしているものの、
できているかといえば、自信はありません。


ただ、この”素直さ”。
じゃあ何?どういう状態が素直さなの?
と聞かれてどのように答えれば良いのか…。


私は以前、友人に

「人を見る目がある。
友好関係もきちんと見極めて選んでいる感じがする。」

と言われました。


その関係性が良いのはわかりませんが、
私の心の平穏に繋がっているような気がします。


そして、その考え方は “素直さ” を
意識するようになってからできたもの
であるような気もするのです。


最近、この “素直さ” や人間関係について
改めて考えてみました。


今日は私の妄想の入った例えとともに
この “素直さ” について解読してみようと思います。


***
”素直さ”について考えたとき、
真っ先に考えたのは、

『相手の気持ちや言葉を受け入れ、
         自分の心に響かせること』
だと思いました。

が、それってよくわかりません


なんでもかんでも、全て受け入れれば良いのか
と言われれば、
それは意思のないような気がしますし、
どちらにしろ、
心に響かせるとはどうすれば良いのか。と。


じゃあ、“素直さ” ってなんだろうと
改めて考えたとき、
私は、自分の心をお城に例えてみると
わかりやすいのではないかと思うようになりました。


人間関係において、「土足で踏み込む人」という表現があります。


そして、そのような方との付き合い方に
「心の扉を閉ざす」という表現も…。


ただ、この表現は土足で踏み込んできた人を入れてしまった時に閉め出すような感覚があります。


では、それ以外の人はみんな受け入れることが
“素直さ” なのかと言われれば
それも違うような気がするのです。


そのように考えたとき、
私は心をお城に例えてその周りに城下町を持っている事が心の平穏になっているなぁと思うようになりました。


ここではお城は心で、城下町は人との距離感の例えです。


そして、“素直さ” とは
その城下町をいかに整備するかだと思うのです。


自分の心の為に、大切にしているのは、
心に土足で踏み入れた人を締め出すのではなく、
なるべく心に入れないようにする工夫をしていることです。


***
私たちが傷つくとき、
それは相手の言葉がまっすぐ、鋭いときに多く起こるように思います。


鋭いものが
ものすごいスピードで自分に向かってきたとき、
人間は物理的にはもちろん、
言葉であっても避けてしまうのではないかなと思うのです。


そしてその言葉を受け入れるための “制限速度” が人によって異なると思うのです。


例え、正しいことを言っていても
どこかトゲトゲしい言葉に素直になれないのは
このことが原因ではないかなと思いました。


なら、その “制限速度” を自覚するところから始めるのはどうでしょうか。


言葉に傷つくというのは、いわばスピード違反の状態で心のお城に突撃される状態のこと。


でも、相手はそれが普通なのでスピード違反であることを認識していないのだとしたら…。


相手を無闇に責めることもできません。


ただ、こちらも必要以上に自己嫌悪になる必要もないと思うのです。


では、どのように向き合うか。


それは、先ほども言ったように、
自分にとっての “制限速度” を認識し、
心に入れる前にスピード調整をすることが必要になると思います。


心を閉ざしている人の多くに
素直に受け入れすぎて傷ついた経験があることが
トラウマになっている人もいます。


私もそのような経験があります。


でも、それでいきなり全てを
シャットダウンしてしまっては、
極端すぎて必要な言葉も入らなくなってしまう
こともある気がします。


これはいいのかわかりませんが、
私はどちらかというと
城下町の警備を厳しくしている状態、
つまり全ての言葉が危ないかもしれないと思って
疑っているような状態になっています。


疑ってかかっているのは良くないかもしれません。


ただ一方でこれは私にとって
シャットダウンもせず、受け入れ過ぎないための防御策でもあるのです。


そしてその後、全ての言葉のスピードを調整したうえで、必要な情報を精査し、受け入れるようにしています。


では、何がシャットダウンと違うのか。


それは時に厳しい言葉があっても、
その人の意図を解読してからなるべく
全て受け入れるようにしている点
です。


一見、理不尽に怒っているように見えても、
その発言の根本となる核の部分には必ず
その人の意図や、考え、感情が隠されています


そこに少しでも、納得のいく意図がある以上、
私にも学ぶべきところがあると受け入れるのか、
それともきつい言い方だから聞かないとなるのか
では、受け取り方が変わってしまいます。


一方で、そのきつい言い方全てを
無条件に受け入れていては心が保ちません。


これはあくまで、イメージでの話で、
実践するとなると難しいことなので、
ぜひやってくださいとは言えません。


ですが、人の言葉の向き合い方に悩んだときに
思い出していただければ、
少し向き合いやすくなるのではないかなと…。


ちなみに、私は言葉を実際に受け入れることは、
時間が経ってからでもいいと思っています。


コミュニケーションは瞬時の出来事で
すぐに反応しなければいけないときもあります。


そのときは、
「勉強になります。」「改めて考え直してみます。」
そうでなくても「ありがとうございます。」
と言って、一度受け取った意思表示をしてみましょう。


その後、心に受け入れるかどうかを
考えてやっぱりおかしいのであれば、
それは受け入れなくてもいいのかもしれません。


自分がその鋭さある言葉を
受け取り、変換し、受け入れるスピードは
人と話すことである程度鍛えられます。


ですが、それが苦手な場合、
あとでゆっくり自分のスピードで受け入れることも自分に許してあげてください。


ちなみに、ストレートな悪気のない表現
というのもよくありますが、
それをポジティブな表現に変えることも
一つの手段だと思います。


とにかく、
まずは言葉のスピードと鋭さを認識できると、
コミュニケーションのうえで、
相手も自分も責めずにいられるのかもしれない。


と思うようになりました。


***
ここまで色々話してきましたが、
私は “素直さ” とは、
相手の考えを受けれる余地を与えることだと思います。


全て受け入れるわけではなく、
全て受け入れるように
工夫をしながら努力をすることだと思います。


そのためには、少し自分なりに
相手の意図や背景を含めた解釈を加えてみても、
言い方を自分なりに変換してみても
いいのかもしれないなと思うのです。


今回の例えは私の独自のもので、抽象的でわかりにくかったかもしれません。


ですが、

他人をその城下町からも締め出し、
コミュニケーションをいきなり断つのではなく、
その大切な心にまでは入れず、
手前の城下町でちょっと耳を傾けて
みてもいいのかな

とそんな風に思ったのでした。

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