見出し画像

国立奥多摩美術館館長の他の美術館に行ってきた!(Vol.12)水戸芸術館現代美術ギャラリー『中崎透|フィクショントラベラー』

国立奥多摩美術館館長の

他の美術館に行ってきた!(Vol.12)


---

水戸芸術館現代美術ギャラリー

『中崎透|フィクショントラベラー』

会期:2022年11月5日〜2023年1月29日

---

2022年11月6日(日)曇り、茨城県にある水戸芸術館現代美術ギャラリーでやっている中崎透さんの個展に行ってきた。中崎さんは、大学の先輩で、会えば挨拶をするくらい。ちゃんと話した事はないが、ずっと気になっている作家だ。その中崎さんの美術館での個展を見に行かないわけがない。僕が学生だった頃、大学構内に「中崎透遊戯室」というスペースがあった。展覧会をやっていたり、イベントをやっていたり不思議な空間だった。学生のころ抱いていた、美術に対しての漠然とした期待やワクワク、そんなものを大きく膨らめてくれる先輩だった。しかし、そんな自分の中のパンパンに膨らんだ期待やワクワクは、ここ数年ふとした時に少し萎んでしまったのかなと感じる事がある。正直、展覧会に行っても既視感の連続だったり。作品や作家がみんな賢くみえるだけだったり。いわゆる美術作品を美術じゃない物事と比較した時に、日常の様々な物事の方が、圧倒的に面白く刺激的に思えたり。年々美術への期待は小さくなっていた。美術はもっと、バカで、極端で、自由で、勝手で、大げさで、個人的であっていいと常々思っている。その個人の勝手な確信に満ちた危うい思い込みや妄想や嘘が、この息苦しい人間社会には必要だ。それを担えるのが美術だ。でも、本当のバカになるには知性が必要だ。極端になるには中庸の精神。自由になるには世の中の制約を知る事。勝手に振る舞うには責任が伴う。大げさになるには常識を知る必要がある。個人的になるには社会性が必要。それらは全て表裏一対。そんな美術への思いを抱え今回の展覧会の会場に入ると、ずっとニヤニヤしてしまった。それは、会場を歩くたび、学生だった時の、あの美術に対しての期待やワクワクが久しぶりに蘇ってきたから。そして、並んでいる作品が最高にバカバカしく極端で自由で勝手で大げさで個人的にみえたから。その裏に、中崎さんの知性や優しさや責任感や常識や社会性を感じたから。こういう所からまた新たな美術が動き出すと、未来の美術は面白くなっていくなとワクワクした。(佐塚)

---
「西の風新聞」掲載

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?