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【わたしと藻嶺#5 山崎佑太さん&鬼原雄太さん】

氏名:山崎佑太(やまざきゆうた)
職業:コピーライター(所属:株式会社たきコーポレーション たき工房)
卒業年:2017年
学群・専攻:地域共創学群・経済学専攻

氏名:鬼原雄太(きはらゆうた)
職業:カメラマン(所属:株式会社アンドボーダー)
卒業年:2011年
学部・学科:経済学部・経済学科

祝!「第70回朝日広告賞」審査委員賞受賞

▲カメラマンの鬼原雄太さん(上)とコピーライターの山崎佑太さん(下)

札幌大学の卒業生である山崎佑太さんと鬼原雄太さんは、2021年度「第70回朝日広告賞」において、デザイナーの佐藤翔吾さんとともに、審査委員賞を受賞されました。若手クリエイターの登竜門とも言われる朝日広告賞でのご入賞、おめでとうございます!

そこで、今回の「私と藻嶺」では、現在東京と札幌でご活躍されるお二人とオンラインでつながり、ご受賞のお話を中心にインタビューを行いました。

「第70回朝日広告賞」のこと

▲2021年度「第70回朝日広告賞」審査委員賞受賞作
▲札幌大学での撮影風景

ご受賞おめでとうございます!まずは朝日広告賞に応募しようと思ったきっかけや経緯について教えていただけますか?

山崎さん(以下、敬称略):ありがとうございます。以前から歴史ある朝日広告賞に挑戦したいなという想いを持っていましたが、一人だとハードルが高いので、なかなか実現できませんでした。たまたま知り合ったデザイナーの佐藤さんにお声かけし、また企画を深めていく中で鬼原さんを紹介してもらい、この三人で応募することになりました。

山崎さんと鬼原さんは元々お知り合い同士だったのですか?

山崎:鬼原さんが所属される株式会社アンドボーダーという会社のことはもちろん知っていましたが、鬼原さんとお会いするのは初めてでした。

鬼原さん(以下、敬称略):そうですね。デザイナー(佐藤さん)がお互いの共通の知り合いということから、今回自分も参加することになり、初めて山崎さんとお会いしました。

「朝日広告賞」ではさまざまな企業や団体から課題が出されますが、どのように選び、また制作されたのでしょうか?

山崎:課題は自由に選べますが、毎年トンボ鉛筆の作品が多く受賞している印象を受けたので、もし入賞を狙うのであればトンボ鉛筆という課題からは逃れられないだろうと思い、あえて挑戦しました。

まずキャッチコピーを決め、それに合うのは写真だろうということで、ビジュアルは写真に。

私の中で「書き殴る」という言葉が印象的にあり、悩んでいるシーンを漠然とイメージしていました。いわゆる「机を前に悩む」というシーンはやりつくされていて普通。それ以外で、無理のないシチュエーションを考えた時に、「そういえば楽譜に書き殴っている人がいたな」と中学や高校の頃を思い出し、楽器を使ったビジュアルへとイメージが固まっていきました。

鬼原:二人が長い時間をかけて企画を考えてくれました。私の役割は、撮影当日、その場でアイデアを具体的に構図に落とし込んでいくことでした。

トンボ鉛筆の課題ということで、楽譜と鉛筆に目が行くようにということと、ちょうど窓からとても良い感じの光が差し込んだので、その光を生かせるようにということを考えながら構図を決めていきました。鉛筆らしさを出すために、あえて楽譜を少し擦って汚したり、鉛筆を短めにしたりといった細かい演出もしました。

山崎:鬼原さんがディレクションしてくれたことが、審査員の方へも意図としてきちんと伝わったと感じました。

鬼原:怖いなとも思いましたね。コメントをして下さった審査員の方は、日本の広告写真業界ではトップの方なので、その方にこちらの意図したことがそのまま伝わっているというのは、もちろん嬉しい気持ちもありますが、見透かされているような怖さも正直感じました。

受賞の一報を受けた時の気持ちは?

山崎:びっくりしました。その日は、健康診断で初めてバリウムを飲んだ日ですごく気分が悪かったのですが、気分が悪くなった日はこういうこともあるんだなと思いました(笑)。受賞してみて気づいたのですが、もしかしたらあまり入賞を目指してなかったというか、出品することに意味があると思っていたので、挑戦して頑張った結果、プラスアルファで賞をいただけたのかなと思います。とにかく驚きました。

鬼原:賞をいただけるとはあまり思っていませんでした。実は、朝日広告賞の前に日本広告家写真家協会のAPAアワード(2022年度審査委員長白鳥真太郎賞)もいただき驚いていたところに、さらにこちらでも受賞することができたので、個人的に本当にびっくりすることの多い年になりました。

受賞作は札幌大学で撮影されたということですが、大学で撮影することになった経緯を教えてください。

山崎:まず楽器を使おうというところから、吹奏楽を連想し、札幌大学で吹奏楽部の顧問をされている武者加苗先生に相談させていただきました。私は大学時代、武者先生のゼミに入っていて、今でも交流があったので。

撮影場所を提供していただいただけでなく、細かいアドバイスもいただき、リアリティのあるビジュアルになりました。モデルの学生さんもご紹介していただきました。

受賞を受け、ご自身の仕事観に変化はありましたか?

鬼原:それによって特別仕事が増えたというわけではないですが、自信になりました。また、プロフィールシートに歴史ある朝日広告賞を書けるようになったことは「いいな」と思いますね。

山崎:私もポートフォリオを作る時がありますが、これまでは北海道のアワードしか書けなかったのが、朝日広告賞という全国区のアワードを書けるようになったのは、責任感も増しますが嬉しく思っています。

札幌大学在学中の思い出

Q:どんな学生でしたか?とくに心に残っていることなどがあれば教えてください。

山崎:武者先生のゼミで地域経済について学び、用もなく武者先生の研究室にお邪魔し、おしゃべりをしているような学生でした。サークルは北海道大学のインカレ系のバドミントンサークルに入っていたので、札幌大学で授業を受け、終わったら北大に行くというような日々でした。

鬼原:硬式野球部に所属し、野球中心の生活をしていました。春の遠征の費用を捻出するために、授業と部活以外の時間はアルバイトに精を出していました。ただ、試合に出られず、結局部活は3年生後半でやめてしまいました。初めての挫折だったかもしれません。

一方で、大学2年生くらいの時にはカメラを持っていたと記憶しています。当時通っていた床屋さんのご主人が、フィルムカメラで山の写真を撮っている方で、その方の写真をよく見せてもらっていました。スノーボードショップの店長さんと知り合いになり、そのつながりからスノーボードの写真も撮り始めました。写真にどんどんのめりこんでいった時期でした。

「コピーライター」と「カメラマン」、それぞれの仕事について

Q:大学を卒業されてから現在までのご経歴や、現在のお仕事の具体的な内容を教えてください。

山崎さんのお話

山崎:就職のことを考え始めた時、とくにやりたいことがなく、漠然と「カッコいい職種につきたい」と思っていました。そのような中でコピーライターという仕事を知り、目指すようになりました。私は元々飽きっぽい性格なのですが、宣伝会議賞(月刊「宣伝会議」が主催する公募広告賞)への応募は飽きずに続けることができました。

卒業する頃にはコピーライターになりたいという思いは固まっていましたが、新卒でコピーライターになるのは間口が狭く、まだ実力不足だと感じていました。そこで東京で開催されているコピーライター養成講座に行こうと思い、その資金を貯めるために東京の会社へ一度就職しました。講座を受講し、2018年に前職の北海道帯広市の広告代理店でコピーライターとしてのキャリアをスタートさせました。コピーライターとしての実績もでき、広告業界の中心である東京でステップアップしたいと思うようになり、今年(2022年)現在の会社に転職し東京で働いています。

コピーライターと言うと広告のキャッチコピーを考える仕事だと思われますが、実際はそれだけでなく、新聞やラジオCM、テレビCM、雑誌、デジタル方面のプロモーションなど業務の幅は幅広く、広告というもの全てに関わってくる仕事です。

アーティストでもないのに、自分の作ったものが世の中に出るという、ある種の「異常感」があります。それは何万人または何百万人という人に自分の言葉が届くという面白さでもあります。

また、コピーライターの世界には多数の広告アワードがあり、社外で競争ができるという面白さもあります。私の中の一つのモチベーションにもなっています。

鬼原さんのお話

鬼原:経済学部からカメラマンになる人はほとんどいなかったので、卒業の少し前、友人のつてで写真学科のある専門学校の先生に会いに行き、そこで紹介してもらった就職先で1年半アシスタントとして働きました。その後、会社を変えたり、フリーでアシスタントをしたりしながら経験を重ねました。東京でも仕事をしてみたいと思い、2年ほど東京に行き、博報堂プロダクツ(博報堂の写真部)などで働いていた時期もあります。その後、札幌にある現在の会社に就職し、カメラマンとしてデビューしました。

カメラマンと言ってもさまざまですが、私は、企業の販売促進につながる広告写真(コマーシャル)というジャンルを専門とする会社に所属しています。

決まった出社時間はなく、基本的に撮影に合わせます。朝早ければ3時や4時集合のこともありますし、終わりが遅い日は深夜になることもあります。撮影場所も色々あり、例えば明日は札幌市内のスタジオでの撮影ですが、昨日と一昨日は東京にいました。

この仕事には、自分一人ではなく、一つのチームでものづくりをしていく楽しさがあります。また、自分たちの仕事が、集客や売上などの形となって人や企業の役に立ったと実感できた時は嬉しいです。弊社は「人を幸せにする仕事」と理念に掲げていますが、まさにその通りで、感謝されることが一番嬉しいし、仕事の醍醐味、カッコいいと感じるところです。

札幌大学の後輩に向けたメッセージ

Q:札幌大学の後輩や同窓生に向けてメッセージをお願いします。

鬼原:やりたいことを見つけるのは結構大変なことです。少しでも「やりたいな」と思うことがあったら迷わず試してみるという精神が大切!大学生の皆さんには、興味を持ったことにトライする時間がたくさんあります。私自身も、大学生の時にもっと旅行したり人に会って話を聞いたりすればよかったなと思うことがあります。撮影でさまざまな職業の方に会いますが、いまだに「こんな仕事があるのか」と気づきがあります。

山崎:もしかしたら鬼原さんと真逆のことを言ってしまうかもしれません(笑)。私がコピーライターという仕事を見つけた経験を振り返ると、やりたいことではなく、やりたくないことを探したという経緯があります。「あれはやりたくない、これもやりたくない」と考えている中で、たまたまやりたいことにたどり着きました。もしかしたら、私のように「やりたくないこと」を見つけることで、逆に「やりたいこと」が見つかる場合もあるかもしれません。そして、自分のやりたいことが見つかれば、仕事を長く続けられますし、仕事に対して楽しく向かうことができ、企業も自分も幸せになれると思います。

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