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大野みなみ《 む 》

 2024年1月13日から24日まで、名古屋学芸大学 メディア造形学部 映像メディア学科の卒業制作展が行われた。インスタレーション領域で展示してあった大野みなみ《 む 》を鑑賞してきたのでレビューを以下に記載する。

 大野のインスタレーション作品は、様々なオブジェクトが併置してあるのが特徴的だ。ボックスと塩ビ管を交互に積み上げ、その最上部の曲がった塩ビ管から、電話のカール状になったコードのようなものがぶら下がっている。ボックスの中には更に細い管やDVDディスクなどが配置されている。

《 む 》©大野みなみ
筆者撮影

 隣には、細いチューブが天井からつるされたフックに頭をもたげる様にして引っかかっている。よく見ると、洗濯機に注水するときに風呂の残り湯から吸水するチューブではないかと思う。先に述べた、電話のコードとチューブが両端でつながっている。その他には、クッションの中に入れるビーズが透明の袋に入れられ、これも天井からつるされた紐に縛り付けられているオブジェや、束ねられた多数のビニール紐、網、丸いミラー等が床に無造作に置かれている。
 液晶モニターでは、様々な素材を壁面に打ち付けたりしている映像を、その時に発せられる音とともに会場内で流している。また、プロジェクターでは、小さな箱の中で、先に述べたオブジェたちが吊り下げられ、それぞれが作用しながら動く映像である。

《 む 》©大野みなみ
筆者撮影

 本作で使用されているメディウムが、ボックス、塩ビ管、チューブ、クッションビーズ、DVDや網など、中身が空洞、もしくは軽い素材でできているものが多い。
 これらが、中抜けの現代人を投影しているのか、本来見せないはずのクッションのビーズが、何らかを強いられ続ける現代人と、人間の本質的な思想のあり方の逆転構造を表しているのかはわからない。それらオブジェクトが、辛うじて引っかかり、宙に浮いている不安定な状態が、現在の世界を提示しているようにも見える。
 また、プロジェクターで行われている、様々な素材同士の関係性は、人と人だけではなく、すべての存在が相互に作用しあっている世界を投影しているようにも見えてくる。

《 む 》©大野みなみ
筆者撮影

 大野はキャプションで、作品に対して理解することを拒否しながら鑑賞するよう誘導しているようにも見える。アーティストが自身の作品に対して、「作品は理解しないくて良い」と言われたら、我々鑑賞者は、理解しなくてよいのだと思ってしまう。しかし、これは理解しないことを誘導されている世界に我々は無自覚に生きているということでもある。
 理解しないことを社会から誘導されながら、理解をすることを拒否して進む人間が作り上げた中身の無い世界が、宙吊りにされ辛うじて状態を保っているという作家の世界観が読み取れるように感じた。

知らないものです。
私なりに捉え、それっぽくしました。
小さいものを大きく映したら面白いかなと思いました。
なにをやっているんだろうと思われると思いますし、私も思います。
理解しないことが大切だと思います。

《 む 》キャプションから引用©大野みなみ


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