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ライターを殺す言葉

最初、「ライター、ナメんなよ!」というタイトルで書いていて、「いやいや最初からそんな喧嘩腰はあかんよね」と猛省して、タイトルを変えました。いつもより血がたぎっております、さとゆみです。

もうだいぶ前のことになるのだけれど、ある投稿を見て、指先が震えるくらい怒りに満ちた件を、今日はひとつ。

私は、見た目はまあまあいかついし、決して温厚ではないのだけれど、人が何をどう思おうとまあ人の勝手だよねと思ってる。そこはめっぽうドライなので、誰かの言動に腹が立つということがそんなに多くない。

だけど、数ヶ月前くらいかな。ある編集者さんのSNS投稿を見て、今世紀最大くらいに、腹が立った。数ヶ月寝かせたけれど、まだ腹が立ってる。今、この記事を書こうとして確認のために、その投稿をみたら、また腹が立ってきた。これについてひとこと言いたい、いや書いておきたいという気持ちがおさまらない。

その投稿に書かれていたのは、こんな言葉だった。

ようやくライターさんから書籍の原稿が届いたけれど、これが最初から最後までまったく使えない。
でもまあ、よくあることといえば、よくあること。私はプロなのでここからリカバリーするだけだ。

個人を特定して糾弾したいわけじゃないから、一字一句同じではないけれど、だいたい、こんな感じ。
私はお目にかかったことがないのだけど、ライターの友人いわく、よく知られた編集者さんらしい。お相手のライターさんが誰なのかは書かれていない。

こういう編集者さんの投稿を見るのが初めてかというと、そんなことはなく、年に数回くらい「ライターの原稿が全然使えなくてヤバイ」的な投稿を見かける。(毎回、嫌な気持ちにはなっていた)

なのになぜ、今回に限ってこんなにも腹が立ったのだろうと考えてみたら、多分それはいま私が、ライター養成講座をもたせてもらっていて、18人の大好きな生徒さんたちと、書くこと、書いて生きていくことについて考えてきたからだと思う。

この投稿は、ライターを殺す、と思った。

自分の子どもが生まれたとき、自分の子ども以外の子どももみんな元気で健康でいてほしいと思うようになったのと似ていて、
これまで「人に何かを教えるなんて面倒なことやってられない。自分が学ぶだけで時間足りないよ」と思っていた私が、生徒さんを持ったとたん、できるだけたくさんのライターさんが健やかで豊かなライター人生を送ってほしい、と思うようになった。だから多分、その彼女たち(を含めた可愛いライターの後輩のみなさん)が、傷つくようなことが、イヤって思うようになったんだと思う。

ライターを殺すのにナイフはいらない。人一倍言葉に敏感なライターは、言葉で死ぬ。二度と書けなくされてしまう。それをしているのが、同じ言葉を扱う編集者さんだということは、私は、悲しいし悔しい。

後輩のライターさんたちは、私が思っていた以上に、繊細だ。ツラの皮が私より10枚くらい薄い。人に優しく自分に厳しい。私の真逆だ。だから、こういう編集者さんの理不尽な暴力には、「理不尽である」と宣言する、ツラの皮厚い族代表ライターがいてもいいんじゃないかと思う。

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というわけで、最初は怒りがスタートだったのだけれど、怒ってるだけでも仕方ないから、ここでひとつ、このケースに限らず、編集さんの「ライターの原稿が全然使えない」問題について考えてみたいと思う。
なぜそんなことが起こるのか、どうすれば再発防止できるのだろうか。

今から書くことは、この投稿(や、それに類する投稿)を素材として、「編集者とライターは、どのような関係性を保って原稿を仕上げていけばいいのだろう」という、私の自問自答です。

私自身は、ライターでもあるが、編集者でもある(ライターさんにお仕事をお願いすることも多い)。このようなシチュエーション(ライターさんからあがってきた原稿に大きく手を入れなくてはいけない or 自分が書いた原稿を大きく修正してもらわなくてはけない)が、ままあることを知っている。

だから、私自身も、考えながら書いている。この文章を書き終わったときには、なにか学びを得たいと思いながら書いている。

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最初に、なぜ、前述の投稿に代表される「ライターの原稿ヤバイ」的投稿を、私が理不尽であると考えるかというと、編集者にはスタッフの任命責任があると考えているからだ。
先ほどの投稿でいうと、そのライターをアサインしたのは、編集者であるあなただ。あなたは、そのライターが書けると判断したから依頼したのではないか? その判断が誤っていたのであれば、責任はあなたにあるのではないのか?

たとえば、安倍総理が任命した大臣が不祥事を起こしたとして、「まったく使えないやつで迷惑している」と公で語ったとしたら大問題になるだろう。編集者がライターを「使えないやつで迷惑した」と公で語ることは、愚かだなあと思う。

発注と受注に関して、もう一歩踏み込んで考えたい。

私が編集者としてライターさんに仕事をお願いしたとする。
結果的に、期待したような原稿があがってこなかったときは、「この人は書ける」と思った自分の判断にミスがあったか、どこかで自分がディレクションを間違ったからだと考えようとしてきた(これは、口で言うほど易くはなく、ときどき我を失う)。
自分で赤字を入れてしまうか、もう一度書き直してもらうかは、その時々だけれど、どちらにしても「申し訳ない」と言うべきなのは、編集者である私のほうであると思ってきた(これも、口で言うほど易くはなく、ときどき我を失う)。
ただ、この件に関しては私の責任ではあるが、誰か他の編集さんにそのライターさんを任命したいけれどどうだったかと聞かれたら、「私はこういう理由でうまくいかなかった。お願いするなら、その点は気をつけたほうがいい」と伝えることはある。

一方で、ライターとして依頼を受けたら、たとえ門外漢の分野でも、この編集者さんが「さとゆみなら書けそうかも」と思ってくれたのだから、まあ、大丈夫だろうと考える。その点、私は自分よりも、編集者さんの判断を信頼している。
たとえば「政治経済の分野は一度も書いたことないけれど、オファーがくるってことは多分私、書けるんだろうな」と考える。途中あやうくなれば(だいたい、なる)、早めに編集さんに相談する。
決して開き直っているわけじゃないけれど、「書けなかったら、私のことを買いかぶった編集さんのミス」って思うくらいの気持ちで書いている。ツラの皮薄い族のみなさんは、ぜひ私の爪の垢を煎じてのんでほしい。

ただ、同時に、最終決定権もやはり編集者さんにあると思っている。意見はお伝えするし、ディスカッションもさせてもらう。でも、「この原稿はこのまま修正しない方がいいんじゃないか」と思っても、最終的には編集さんの要望にそうように書き直す。なぜなら、部数に対しての責任(売れるか売れないか)を取るのは、編集さん一人だからだ。その重圧を背負うのは著者ですらなく、もちろんライターでは絶対にない。

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さて、今回の投稿に限らず、「ライターからの原稿が全く使えない」的投稿を見ると、いつも不思議に思うことがある。
1時間の取材で3000字原稿を3日後納品というような記事であればまだしも、書籍の制作は長丁場だ。だから、「ライターの原稿が徹頭徹尾使えない」みたいな編集者さんの投稿を見ると、原稿があがってくるまで、あなたは何をなさっていたのだろう? と思う。

・いったい、ライターと何回一緒に取材をしたの?
・そのつど、原稿の方向性について話してこなかったの?
・テスト原稿提出させなかったの? 
・そのフィードバックである程度チューニングできない?
・それでも原稿に不安があるなら、章ごとに提出してもらってもいいんじゃない?
・締め切りすぎているのに、その日に全原稿を受け取ってるってどういうこと?

などなど、なんかいろいろ不思議なのだ。もちろん、個別具体的事情があるのかもしれないけれど。

加えて、今回の投稿のように、それ(ライターの原稿が全く使えないこと)が「よくあることです」というのであれば、

・なぜ、頻発するトラブルを根本的に改善する手段をとっていないの?
・どんなライターと組んでも「よくあること」なのであれば、ライターではなく、あなたの仕事の仕方に課題があるんじゃないの?
・そもそも、仕事の進め方を考え直すべきなのでは?
・話、最初に戻るけれど、「今納品されたライターの原稿使えねー」ってSNSに投稿するあなたの想像力の欠如大丈夫? ライターさんと友好なコミュニケーション取れている感じがまったくしないけれど大丈夫? 

などと思う。

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と、言いっぱなしはずるいと思うので、じゃあ、「納品当日に、こんなはずじゃなかった」を防ぐためには、何ができるのかを、私自身も考えてみたいと思う。

これは、私自身が編集者として「こんなはずじゃなかった」と反省した経験と、ライターとして「こういうのが欲しかったんじゃなかった」と言われた経験、つまり失敗経験を重ねて少しずつ改良を重ねている方法だ。(いまでも失敗することはあるし、NOW で苦戦している本もあるから、まったく完璧ではない)
もし、これを読んでくださっている編集者やライターの皆さんがいらしたら、ぜひ、「こんな方法も有効だよ」と教えていただけたら嬉しいです。

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(私がライターだった場合)なるべくやっていることは、以下のようなことです。

★取材前・取材中
・編集さんのこれまでの仕事を確認する(編集さんご自身が好きだという、ご自身の担当書籍や記事を聞いて読んでおく)
・できれば書店で棚デートをする(どの棚にいく本なのか、競合はどの本になるのか、書店をふらつきながら、すり合わせをする)
・その日の取材で編集さんが「これは良かった!」「これを軸にしたい」と感じた項目を聞く
・初稿は何割を目指してフィニッシュするかを相談しておく(私は取材後、一度7割程度の原稿でアップして、その後、書いている間に疑問に思ったことを追加取材
させてもらう時間をあらかじめ取っておいてもらうことが多いです)

★執筆前
・構成案を出す(これは、メールだけでやりとりせずに、お会いして目の前で説明し、その場で別バージョンの可能性も叩くことが多いかな)
・テスト原稿を出す(トンマナが重要そうな本は、テイスト違いで出す場合も)
・トンマナのチューニング(この時点では、なるべく赤字がいっぱいあったほうが、判断材料が増えてこの先の原稿が書きやすい旨をお伝え)

★執筆中
・書いているうちに全体の構成に関わりそうな課題がでてきたらつどつどご相談
・迷い始めたら、1章分など、ブロックで送って一度見てもらう
・遅れそうな場合は、なるはや申告(いや、遅れちゃダメなんですけれどね……汗)
・原稿の細かい部分で、編集さんへの相談ごとと、取材相手への追加質問したいことは原稿にかき入れる

★執筆後
・初稿を取材相手の方に読んでもらったあとに、再取材→再納品することが多い

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それでもやっぱり、まだ、ばちっと一発でハマらないことも多くて、それはライターとしての力不足を感じます。
ただ、どんな場合でも、「編集者さんを信頼してなんでも相談できる」のであれば、リカバリーできるように思う。逆にいうと、編集者さんにモノを言いにくい状態は、結局、いいものが作れないことが多いのではないか。

これは逆もまたしかりで、私は編集者としては、圧が強すぎるので、そこをかなり気をつけていかないと、せっかくのライターさんの仕事や心をクラッシュしかねない。注意しながら接する必要があると感じている。

いずれにしても、編集者とライターとの関係性は、安全安心であることが一番大事だ。
そのような心理的安全性が担保されるチーム作りをするのは編集者の仕事だと思う一方で、ライター側もただ受け身であるだけではなく、意識的にそういう関係を作る努力をするべきだと思う。

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これは一概には言えないけれど、

編集者とライターの力関係はえてして、「編集者>ライター」になりがちだ。
これは発注者と受注者という関係があるからだけど、でも、本来はそうじゃないほうがいいものができる。

私の場合、ライターのときは、なるべく背伸びをするようにしている。それでちょうどいい具合に編集さんと同じ目線になることが多い気がする。私はライターで仕事をしている時のほうが、生意気度が2割くらい増す。
逆に編集者のときには、ライターさんに言いたい放題言ってもらえた時に、いい仕事ができると感じるので、我輩の辞書に薄くしか存在しない「謙虚な気持ち」を投入するようにしている。

今回私は、とくに編集者側の暴挙を訴えた。それはやはり、「編集者>ライター」の構造がベースにありやすいからだ。

けれど、同時に、ライターの卑屈だって問題だ。何か問題があるときに、片方だけに問題があるということは、ほとんどない。
編集さんの赤字は人格の否定ではない。ほとんどの場合、修正した原稿のほうがよくなる。修正を必要以上に怖がる必要もないし、牙を向く必要もない。もちろん全部おもねる必要もない。フラットに協議すればいいだけだ。
ライターはもっと自分の仕事に矜持を持ったほうがいいと思うし、私も含め、試行錯誤しながら腕を磨き、編集者さんとのコミュニケーションを深めていこう。

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先日私が、ライター養成講座の講師をすることになったと伝えたら、信頼する編集者さんに、こんなことを言われた。

編集がライターよりも立場が上だと思ってる編集者は全員駆逐していい。
そして、ライターは編集よりも立場が下だと思ってるライターのその意識を駆逐してください。

いま、ツラ皮厚い族として、その使命をものすごく感じている。
年末からまたライター養成講座が始まるので、今、生徒さん大募集中なのだけれど、きてくれる人たちには、技術だけではなく、一生心を病まずに仕事をができる思考とスキルを身につけてもらえるようにプログラムを練り込みたいと、鼻息荒く思っている。

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最後に。

数ヶ月前、投稿を見て怒りに震えたときから、では、私たちライターはどう生きていけばいいのだろうと考え続けてきた。
先日ひとつ、そのモデルになるのではないかと思った件があった。

先日、書籍のブックデザインをされるデザイナーさんの講演を聞きにいって、そこに外部スタッフのあるべき姿を見た気がしたのだ
少なくとも、そのお二人の(超売れっ子)デザイナーさんは、編集さんをリスペクトしながら、編集さんはデザイナーさんをリスペクトしながら、お互いそれぞれの分野のプロとして、意見を交換しながらよいものを作ろうとされているように見えた。

ライターも、あのお二人のようでありたい。

そのためには、もっとプロフェッショナルにならなくてはならないし、編集さん一人ではできない仕事が、できるようになるといい。私も勉強するし、ライターみんなで色々共有しあって勉強しよう。

んでは、また。さとゆみでした。


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