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書く「資格」と、書く「才能」

大学4年間、通いに通い詰めたある劇団が、脚本家の養成をすると聞いて、受験しに行ったことがある。
⁡その頃のわたしは、劇団を4つ掛け持ちしていて、演じるより裏方の方が面白い気がする、みたいなことを思い始めていた時期だった。

そこで、面接官だった人に言われたことは、今でもよく覚えている。

「キミみたいな明るくて健康で元気で忙しい人に、演劇の脚本なんて書けないんだよ」
と。
演劇の本なんて、他に何もできなくて暇で暇で仕方ない人間が書くものなんだって。

その人の顔も名前ももう思い出せないけど、面接の最中、吸っていたタバコの銘柄とその匂いだけは覚えている。めっちゃ副流煙吸いながら、面接を受けていた。


今だったら、自分のコンプレックスを人に転嫁しないでくださいって言い返せるんだろうけれど、
当時の私は今より100倍素直だったから、そうかー、私みたいに、明るくて元気で、挫折もなければトラウマもない悩みのない人間には、創作活動なんてできないんだなーって思って、とぼとぼ帰ってきた。


そんな私が、でもやっぱり書きたいんだよな。書いちゃダメかな、って、おそるおそる踏み込んだこの業界も、気づけば20年を超えました。

ライターになってからもずっと、私には書きたいことがないし、自分が考えたことを書く才能もないしと思っていた。
⁡でも、なんか最近、ひょっとしたら、そう思うようにしてきただけで、自分にも書きたいことがあるのかもしれないって思って、一回そう思っちゃうと雪崩を起こすように、書きたいことが次から次へとあふれてきて、

それで、ライターの仕事だけではなく、コラムやエッセイも書かせてもらうようになったのだけど、

そんな、めちゃくちゃ遅咲きの書き手が、それでも、書く仕事がしたいと思ってやってきたことを、本にしたのが、『書く仕事をしたい』という本でした。

書く仕事がしたい。
でも、
自分にはそんな才能はない。
そう思った私が、何を考えて書いてきたかを書きました。

明るく元気で、だからこそ、文学の深淵みたいなところには程遠いのではないかと、葛藤した自分と向き合った時間を背負って書いた本でもあります。


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梅田の蔦屋書店さんでサイン本を販売くださっています。ありがとうございます。



たくさんの方が、いま、手に取ってくださり、毎日毎日、いろんな感想を読ませていただいています。
書きたい人たちの葛藤がにじむ感想も多くあります。そんな方達に、この本を読んでもらえて本当に、嬉しいです。


書いてみたい。
でも、自分には書く資格みたいなものがないんじゃないだろうか。
その素質がないのではないだろうか。
「書く」ことに真摯に向き合っている人ほど、そんなふうに思う気持ち、とてもよくわかります。

でも、いま、「書く」ことを続け、そして、自分の名前でも「書く」ことを始めて気づいたのは、そういうことは一切合切、「自分が決めるのだ」ということでした。
私はいくつかのきっかけが重なって、自分は「書く人になる」と決めたのですが、ああ、”決め”の問題だったのかと、あとから振り返って思います。

今だったら、あの劇団の人に
「書けるか、書けないか。それを決めるのは、あなたではないと思う」
と、言うような気がする。
そして、才能があるとか資格があるとか、そういうことを一度考えることをやめて一歩踏み出してよかったな、と、いま、心から思っています。

そう考えられるようになるまで、ずいぶん時間がかかったけれど、でも書くと決めてよかった。


何が言いたかったか、わからなくなっちゃった。

そうだ。
書籍の感想や、私の講座やゼミに興味を持ってくださった方々のコメントを読んでいると、私と同じように、自分なんかが書けるのかな? 書いていいのかな? って思っている人が多いんだなと、気づきます。

そんな人たちと、思いを言葉にのせていく方法を探していきたいと思う。
書きたいことがあるけれど、どうやって一歩を踏み出していいかわからないという人たちとも、講座やゼミでご一緒できたらいいなって思います。

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それが商品のPRや自社の宣伝であれ、コラムやエッセイであれ、思いを文章にのせたい人たちと、会いたい。
新年くるし、風の時代だし、ちょっと一緒に飛びませんか?
ゼミは、明日の朝が、最後の説明会です。

【追記】
って、書いているうちに、残席が限られてきました。
すぐにお申し込みされたい方は、こちらでお申し込みくださいませ。


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