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死ぬことが怖くなくなった、は言い過ぎだけど

最初のきっかけは、ロシア好きの講座卒業生だった。

彼女はかつて仕事の都合でロシアに住んでいたことがあり、ロシアが大好きで、私のライター講座でどんな原稿課題を出してもロシアに絡めて打ち返してくる生徒さんだった。

近くて遠い国、ロシアの魅力を伝えられる人になりたいと語る彼女。「ウラジオストクは、日本から一番短時間で行けるヨーロッパなんです!」が口癖で、何度も何度もロシアについて原稿を書いてくるものだから、同期のみんなも次第にロシアに興味を持つようになった。講座が終わるときにはみんなでウラジオストクツアー(韓国に行くくらいのフライト時間で行ける)をしようなんて、日程まで決めていた。2020年のことだ。

そのツアーは、残念ながらコロナで流れたが、彼女はコロナ禍でも虎視眈々とロシアに住む準備を進め、「ロシアで就職が決まりました!」となったのが、2022年のこと。みんなで壮行会をしたのだが、その数日後、ロシアがウクライナに侵攻した。彼女がおさえていたフライトはキャンセルになり、ロシアに入国する手段がなくなった。

まだ、情報が錯綜していた頃だ。ウクライナ陣営からの声明は届くものの、ロシア側の思惑は報道されない。
彼女は必死にロシアに住む友人たちに連絡を取り、ロシアの現状を整理しては、また友人たちに伝えていた。ロシアに住む外国人たちの多くは混乱しており、そしてそれはロシア国民も同様だったという。この戦争が国民の総意ではないことを、彼女は知った。

一方、日本ではロシア料理を出すお店に嫌がらせが相次いでいるといったニュースが飛び交っていた。心をいためる彼女に、「ニュースメディアに、いまのロシアの現状について書いてみない?」と提案したのはのは私だ。

ロシア好きが高じてライター講座を受けブログなどを書くようになった彼女だが、ライター経験はない。
しかし彼女は、すぐに言った。
「書きます。書きたいです」
と。

そこで私は、あるニュースメディアの編集長に連絡をして、 48時間以内に今のロシア国内の日本人の様子について原稿を納品するので検討してほしいとお願いした。彼女は徹夜で原稿を仕上げ、ギリギリまで裏取りの追加取材を重ねた。納品予定の日は、私の人間ドックの日だったので、検査の5分前まで病院の隣のビルの廊下で相談しながら一緒に原稿を推敲した。

その原稿は、情報が遮断されているロシアの現状を伝えるものとしてもとても貴重だったけれど、そこに彼女は、自らの取材をもとに「この戦争は決してロシア国民の総意ではないと思われる」という一文を入れた。

ロシア憎し一色だったその時期、この一文を書きたいがために、彼女は筆を取ったのだ、と思ったら込み上げるものがあった。
ライターデビュー作。時間のない中で、しかも世の空気に一石を投じるジャーナリズム原稿を書くことは、どれだけ怖かっただろう。

だけど、彼女はやった。多分、いま書かずして何のためのライティングの勉強かと思っていただろう。私も、彼女のこの原稿を世に出せなければ、何のために講師として彼女と出会ったのだ、と思った。編集長とやりとりをして、何度かのリライトを経て原稿は公開された。

この記事は、非常に多くの人に読まれ、とくに当時息を止めて潜むように生きざるを得なかったロシアに関係する多くの人たちの心を救った。
書いてよかった、と彼女は言った。
書いてもらえてよかったと、私も思った。

「自分が書く」だけではなく、「書きたい人を書ける人にする」手伝いがしたい。
今思えば、これがきっかけだった。

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2度目のきっかけは、北陸に住むおじさまだった。おじさまと言ったら怒られるかな。私と同世代の中年の紳士だ。
私のライティングゼミに応募してきてくれた彼は、介護せねばならぬ家族を3人抱えていた。在宅でできる仕事をと考えて安定した仕事を辞めライターになったばかりだという。いまは一文字いくらのSEO対策記事を書いているが、家族を支えられるだけの収入が欲しい、取材ライターとして食べていけるような実力をつけたいとゼミを受講してくれた。

もっと早くに相談してくれたら、仕事を辞めるなと説得しただろう。駆け出しのライターで、家族を支えられるだけの収入を得ることは、なかなかにハードだ。
でも、辞めちゃったのだからもう仕方ない。私にできるのは、彼に一生食いっぱぐれないだけの書く技術を伝えることだけだ。

彼の原稿のフィードバックは、いつも2人分の時間がかかった。あれも伝えてあげたい、これも知っておいてほしい。もっと上手く! もっと上手くなれ! 私のフィードバックは、とくに彼に対して厳しかったと思う。

それでも彼は、食らいついてきてくれた。20人いる中で、いつも最初に課題を提出して、全員の課題を読み込んで感想をコメントしてくれる。決して器用な人ではない。ときどきとんちんかんなコメントもあった気がする。
だけど「この講座にいる間は、みんなに優しく。みんないい人でいてね」と伝えた私の言葉を愚直に守り続けてくれた。ゼミの課題だけではなく、同期のSNSをパトロールしてはコメントをくれる。ゼミが終わるころには、同期のみんなの精神的な支えになっていたと思う。

その彼とzoomで最終課題の話をしているときに、聞かれた。
「僕は、このあと、取材ライターとして食べていけるでしょうか? どうやって仕事を取ればいいでしょうか?」
その言葉に、ハッとした。

たしかに、彼の原稿は見違えるほどよくなった。だけど、明日から取材ライターとして安定して仕事を受け続けるには、まだ伝え足りないことがある。そして地方在住の彼が、最初の仕事を受注するのもまた別のハードルがあるだろう。
このゼミが終わったあと、私は彼に何ができるだろう。というか、それをサポートできなくて、何のためのライティング講師だ、私。

3週間考えた。

そして、思いついたのが、卒業生だけで運営するメディアを作ることだった。
彼にお金を払って赤字を買ってもらうのではなく、仕事として原稿料をお支払いしながら書いてもらおう。企画を立ててもらって、取材ライティングも経験してもらおう。私が編集者として伴走できれば、合法的に(?)赤字を渡せる。

その時、考えたことを書いたのが、このnoteです。

いや、彼だけじゃなくて、これまで出会ってきた書く仲間たちとも、もっと書くことを一緒に考えていきたいな。ライターになりたい人はデビューの場にしてほしいし、すでに活躍している人たちには、連載を持つ場にしてほしい。

そんなふうに考えて、立ち上げたメディア、CORECOLOR。

2ヶ月たって、たくさんの仲間の文章が誕生した。

私は、書く仲間のみんなと飲みに行ったり旅行にいったりするのも好きだけれど、真ん中に原稿を置いて、ああでもないこうでもないと話し合うのが一番好きだ、と気づいた。毎日のように送られてくる原稿をまな板の上に載せて、どう伝えるのかどうすれば伝わるのか、相談し合うのがすごく好きだし幸せだ。そう思った。

レビューを読むと、みんなそれぞれにキラっと光る原稿を書いてくれる。ドキっとする考察を届けてくれる。
私、こんなふうに深い考察をしたり、独自の着眼点を持って、自分のコラム書けてるかな、と我が身を振り返る。器用だから、まあまあなんとかなっているけれど、みんなの原稿のような密度で書けないなら書く意味ないんじゃないか? と胸に手を当てる(結果、いくつかの自分の連載を休載させてもらうことにした)。

インタビューは1万字なので、下調べも取材も取材先との確認も、そしてもちろん原稿を書くのも大変なのだけれど、みんな本当に丁寧に情熱的に原稿と取っ組み合っている。
私、最近これだけの熱量でひとつひとつの原稿に向き合ってきただろうかと反省する。教えるつもりで、教わることばかりだ。

先日、くだんのおじさまが書いた初の署名記事も掲載させてもらった。

投稿した日のFacebookグループは、お祭りだった。同期のみんなからのデビューおめでとうコメント、読んだよコメント、超いい原稿だったよコメント、私も頑張ろうとおもったよコメント……で、祭りだった。愛されてるなあ。

そして、そのコメント欄を見たとき、思ったんだ。

ああ、これまで死ぬのが怖いなあ。「私、今世で何かできたことあったかなあ」って悔いを残しながら死ぬのかなあ、なんてよく考えていたけれど(今年は持病の様子があまりよくなかった)、
これからはいつ死んだとしても、死に至る瞬間「私の人生、何の意味があったのかな」とは思わないだろうなって感じた。

いや、まだ全然死ぬつもりはないけれど、そしてこのおじさまが取材記事デビューするのを見届けなきゃいけないし、まだまだやりたいことはいっぱいあるけれど。
死ぬときに残念な気持ちにはならないだろうなって思った。

自分が書いた文章はいずれ消えていくけれど、「書いてよかった」とか、「もっともっと書きたい」と誰かが思ったその経験は、きっとずっと引き継がれていく。そんな彼らが書いた文章は、いつかまた、誰かの心をノックして、そうやってずっと続いていく。

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先日、医療ライターをしている卒ゼミ生仲間が、CORECOLORでインタビュー原稿を書いてくれた。彼女がずっと追いかけてきたお医者さんの12年間の物語が、アメリカ在住の日本人監督の手によってドキュメンタリー映画になり、世界各国で次々と賞を受賞しているのだと言う。
『Dr.Bala』というこの映画、まだ日本で配給が決まっていない。応援したい。CORECOLORで来日中の監督のインタビューができないか。そう、相談された。

映画を観た。

これは凄い映画だと思った。過去見たドキュメンタリーの中で、一番心が揺さぶられた。何を凄いと思ったのか知りたくて、取材前と取材後、1週間に3回観た。

まだ日本でこの映画を観た人はほとんどいないから、映画を観ていない人にもこの魅力が伝わるように書くには、どうすればいいだろう。取材が終わってからも、ライターの彼女と何度も何度もやりとりをした。

そうして公開されたのが、この記事だ。

彼女の原稿の公開準備をしながら、一方で私は、上映会をしたいと考えていた。監督が来日している間に、なんとかこの映画をもっと知ってもらう手立てはないだろうか。
彼女と相談して都内の試写室をおさえた。知り合いに記事を送ったら「ぜひ観にいきたい」と言ってくれた人たちばかりで一晩で上映会場の席が埋まった。当日、一席も空席が出なくて、私たちは会場に入れず控室で観た。

映画が終わったあとのこと。急遽、上映会に駆けつけてくれた監督と映画の主人公であるお医者さんが会場に入りスクリーン前に立ったときも、まだ拍手が全然鳴り止んでいなかった。質問会をスタートしようと私はマイクを持ったのだが、拍手が鳴り止まないから、話し始めるタイミングがつかめない。そっと隣に立つライターさんの顔を見る。もう泣きそうだ。

メディアの人もたくさんいて、質疑応答は白熱した。ある新聞社の方は、映画を観たその場で監督に取材を申し込んでくださった。今、続々と感想が届いているけれど、みんなからの感想があまりにも熱くて長い。監督に送るためにワードに貼り付けたら、1万字インタビューの原稿の記事よりも長くなった。ここまでが、記事公開から1週間。

上映会の次の日、ライターさんが、CORECOLORのFacebookグループに投稿してくれた。

ライターの仕事をしていると、自分にはなかなか感想が届かなかったり、これは誰かに届いているのかな?と思ったりすることもあるのですが、「誰かに伝わっている」と感じられるのは、こんなに幸せなことなのだと知ることができました。だからこそ、誠実に真っ直ぐ書いていこうと思います。

たった一人のライターの熱狂が、一本の記事を生み出し、これだけの人の心を動かすのだ。書くことは時に、寄付よりも援助よりも、強く太い支えになる。それを教えてもらった私も、幸せだ。ああ、メディアをはじめてよかったなと思った。
やっぱり、私が教えているつもりで、私が一番、教わっている。

そういえば、映画のテーマも同じだった。
この映画は、東南アジアの医師たちの医療技術向上に尽くした日本人医師のドキュメンタリーだ。1年のうち7日間、自分の夏休みを使って東南アジアに通い続けた12年間が描かれている。

何より私が勇気をもらったのは、12年前の映像だ。ボランティア活動を始めたばかりの彼が、「今後東南アジアの医療に、こんな貢献をしたい」と語ったことのほとんどが、12年後のいま、現実になっている。
そして、ボランティアで行く7日間だけ自分が執刀するのではなく、現地の医師たちが自分で手術できる力を身につけられる仕組み作りが大事だと考えたこと。つまり「自らやる」ではなく「伝える」「教える」を選んだこと。

ああ、そうか。そうなのか。だから私はこの映画にここまで惹かれたのかと気づく。

私が100本の原稿を書くのではなく、100人の信頼する書き手の仲間たちが、もっと書きやすくなる地球になるといいなと考えたこと。それをまっすぐ肯定されたような気持ちになった。

私はいま、この先生の12年前と同じ場所にいるのだ。
きっと12年後には、この映画のような景色が見えるのだろう。
そう思うと、まったく迷いがなくなった。あとはもう、すくすくと曲がらず育てていくだけだと思っている。まさか、46歳にもなって、「すくすく成長しなきゃ!」と考えるようになるとは、思ってもいなかった。

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みんながクオリティの高い記事をアップしてくれるおかげで、まだローンチ2ヶ月のメディアなのに、続々とお問合せをいただいています。

CORECOLORで書いてくれているライターさんへの直接指名のお仕事もどんどん決まっているし、CORECOLORやさとゆみゼミメンバーと全面的にコラボしていきたいというお問合せも、ずいぶんいただくようになりました。
こういった場が、また卒ゼミ生のみなさんの書く場所の広がりになったらいいなと願いながら、いまはいろんな企業様と打ち合わせをさせていただいている毎日。

来年は、たくさんの大好きな仲間たちと取材したり、文章を真ん中にわちゃわちゃ話したり、書く仕事の未来を明るく考えられる場をたくさん作っていけたらいいな。

noteで告知するのを忘れていて、うっかりもう、締め切りまで3日しかないのですが、さとゆみビジネスライティングゼミでは、そんな仲間をあとちょっとだけお迎えしたいと思っています。2023年1月スタートで3期生のゼミがスタートします。2023年はこの1回だけの募集と考えています。

私はともかくとして(いや、私もそうであるつもりだけれど)、元気に健やかに病まずに書いていく仲間を得られる場であることと、そして卒業後も互いに切磋琢磨しあって書ける仲間と知り合える場であること。それが、このゼミのいいところだなーって思っています。

12月12日(月)の18時締め切りです。
よろしければ、ぜひ、書くことについて一緒に考えてみませんか。






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