『ドリトル先生アフリカゆき』は本当に面白いのか。
最近、とても気になっていることがあって、それは『ドリトル先生アフリカゆき』は、本当に面白いのか、ということです。
夜、家にいる日は、この本を息子氏(7歳)に読んでいるのですが、ものすっごい食いつきようなんですよね。毎晩、「今日は2話分読んでほしい」とか、「お風呂に入ってあげるから(温泉好きだが風呂嫌い)お風呂の中で読んでほしいとか」とか、どうやら彼の心を強くノックしているようなのです。
私も、彼と同じくらいの歳のときに、この本を母に読み聞かせしてもらって、全巻読んだのですが(多分、途中までは読み聞かせで、途中からは自分で読んだ)、やはり、この本を読んでもらえる夜が待ち遠しかったし、「もう1話読んで」とせがんだ記憶があります。
で、書店さんでこの本を見かけたときに、ちょっと懐かしい気持ちがして、「あ、この本だったら私も好きだったし、もう一回読みたいかも」と思って、生まれて初めての(彼にとっても私にとっても)読み聞かせというものにチャレンジしてみたのですが……
あれ・・・。
記憶にあったほど、面白いと思えないんですよね。
もしいまこの原稿を「書籍化したい」と作家さんから持ち込みされたとして、企画会議に通すかというと、通さないかもしれないという気までしました。
これは、なぜだろう。
時代が変わって、この本を古く感じるのか。
たしかに今回選んだのは30年以上前に私が読んでもらった同じ井伏鱒二さんの訳だけれど、そもそもその訳で、私の息子は面白いと感じているのだし。
二度目だからつまらないのか。いや、それは違う。今回読み返してわかったことは、私、ドリトル先生が動物の言葉を話せる先生だという設定以外、何一つ覚えていなかった。
では、私が何かを失ったのか。この本を面白いと感じる感性がなくなったのか。その可能性はすごくある。ひょっとしたら音読していることで、何かが失われているのか?……etc.etc.
そういうことが気になって仕方ないので、毎晩、読み聞かせを続けております。いつかこの謎がとけるかもしれないって思って。すでにシリーズ2巻目の『ドリトル先生航海記』の前半です。最近夜の付き合いがめっきり悪いのは、このミステリーにはまっているから。
この、ドリトル先生の話に限らず、息子といると、不思議がいっぱいあって、毎日気になることだらけです。
例えば、彼はなぜ「ドラえもん」や「コナン」のアニメを見たがるくせに、音は聴いていないのだ? とか(ソファに座っている彼に聞こえるとは思えないレベルの音量しか出ていない)。
なぜ、肝心なところを早送りするのに、「面白かった」とか「つまらなかった」とか言うのか? とか。その判断基準は何かとか。
「希望」ってなんのこと? とか聞くのに「要望」はスルーするのはどうしてか? とか。
どこにもたどり着かない話でした。
ドリトル先生、読んだことある方、ドリトル先生は好きでしたか? 今も好き?
[今日のさとゆみ]
・テレビ収録 9時間
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・会食 3.5時間
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