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正しい強度で弱音を吐くこと。SOSを出すこと。フリーランスの命綱。

今年最後の原稿を納品し、先ほど校了の連絡をもらい仕事おさめ。
最後のメールを送ったら、入れ替わりに、著者さんからメッセージが届いた。今年最後に脱稿した書籍の原稿をとても気に入った。発売が待ち通しいとのこと。ちょっとほっとする。


しみじみ、きつい一年だったけど、なんとか生き延びたと、思った。


2019年は走りたい場面で怪我したり転んだりしてばかりで、いろんな大切なものを目の前で獲り逃してきた。このために何年も準備してきたものさえ、獲り逃がした。

私は「ここが勝負」というときに、後ろ足がしっかり残せるというか、踏ん張りをきかせられるのが自分の唯一の強みだと思っていたのだけれど、今年はその自分の胆力のようなものや、連戦でチューニングし続けてきた技術のようなものを少し過信しすぎていた。

当たり前だけれど、トラブルというのは、思いもよらなかったところで起こる。そして重なる。
そのバッファを広めに持って生きてこなかったことが、今年、全部裏目に出た。
最初の最初は自分由来じゃなかったトラブルだったけれど、それがいくつか重なると、その敗戦処理で次は自分がチームのトラブルのもとになる。雪崩が起きるように、一気にスケジュールが倒れた。あっと思った瞬間、ドミノ倒しだ。

判断力も瞬発力も今年はいつもよりコンマ5秒くらい、鈍かったと思う。
普段なら「あれ? この案件、ちょっと危ないにおいがする」という直感で逃げ切れる件なのに、今年は妙に性善説を発動した。気づいたときはズブズブで、降りるのに時間がかかってしまった件がいくつもあった。

ずっと動物のように獲物を狙い、動物のようにトラップを避けてきたので、身体性がにぶっているというのは、これは死を意味するなと感じた。

下半期はそれをちゃんと自覚して、とにかく、これ以上怪我しないようにと、できるだけ地面との接着面を感じて走ってきた。
一歩ずつ。一歩ずつ。
焦るな、焦るな、今は我慢だ、とにかく足を止めるな。こんだけ辛いってことは多分これは上り坂だ。
呪文を唱えるように歩いてきた。

フリーランスが難しいのは、こういうときに、正しい強度で弱音を吐いたり、正しい時期にSOSを出すことだと感じる。
もう少しいけそうだと思うが、これ以上こちらで抱えて万が一いけないとみんなに迷惑をかける。その判断がとても難しい。

今年は、この判断がひと呼吸ずれた。

最初は3度くらいのズレなのだけれど、それが1ヶ月続くとそのズレは10度になり、3ヶ月後にはちょっとズレと言えるレベルではないズレになる。

「うつ病を発症するのは、きまって責任感の強い人だよ」

学生時代、バイトしていた先でよくメンタルケアの先生が言っていた言葉が頭をよぎる。この言葉が頭をよぎったことが、結果的にいろいろ救ってくれたと思う。
かつて敏腕ライターと呼ばれていた優秀なライターさんたちが消えていったことを思い出した。全員、ある時仕事が雪崩を起こして、でも真面目すぎて、SOSが出せなくて、パンクした人たちだ。

選ぶしかない
お詫びするしかない。
抱えたらもっと迷惑をかける。

今年はすみません、スケジュールを再調整させてくださいという相談を何度かさせていただいた。もうベテランといっていい年数のライターなのに、情けないことこの上ない。

書籍に関しては、私、上阪徹さんの弟子なので、締め切り至上主義を美学というか鉄則としており、だから自分から締め切りを延ばしてもらうというのは、それだけでメンタルが落ちる(迷惑かけられる先方は落ちるどころではないと思うから、落ちてる場合じゃないよ書けよなのだろうけれど)。
でも落ちるからといって、その判断をギリギリまでしないと、次に食い込む。次もずらしてもらうことになる、また詫びる、また落ちる。そうじゃなくても悪いパフォーマンスがもっと悪くなる。

これは本当に参った。私はこれまで19年ライターをしてきているけれど、こんなふうな蕎麦屋の出前みたいな締め切り管理は一度もしたことなくて、逆にいうとどんなにわちゃついても締め切りまでになんとかあげられる「筆力ではなく胆力のほう」を買われてきたライターだ。
このアイデンティティが揺らぐと、原稿もメンタルも揺らぐ。今年の前半戦はもう一生書けないかもしれない、というくらいまで、アイデンティティが追い込まれた。

弱音の強度は難しい。
一度口に出して「しんどい」というと、「しんどい」が子泣きじじいのようにずっしりと重量感を持って両肩にのしかかる。

今年は夏から秋にかけての記憶がほとんどない。とにかく毎日必死だった。今日も起きるぞ。今日も書くぞ。今日も眠るぞ。今日も起きるぞ。今日も書くぞ。今日も眠るぞ。

一事が万事こんな一年だった。なんとか立て直しできてきたのは、冬のコートを出し始めた頃からだろうか。
立て直すために、いろんな方面に迷惑をかけた。
ある原稿に関しては、ライターをチェンジしてもらった。オファーを受けただけで、まだ取材がスタートしていない仕事は、事情を説明しておろさせていただいた。先輩ライターさんと後輩ライターさんに、ずいぶん助けてもらった。新規の仕事も打ち合わせも会食もほぼすべて断った。

この時期、事情を知って「今はとにかく何も考えずにご自身を優先してください」と言ってくださった編集さんや、ヘルプしてくださったライターさんたちには、一生かけて恩返ししたいと思っている。
ご迷惑をおかけしたみなさんには、どこかで必ず償いをさせていただきたいと思っている。
そのためにも上手くなる。強くなる。

そんなこんなで2019年がもうすぐ終わろうとしている。

今でも考える。
どこでSOSを出すべきだったか。
もう少し頑張るべきだったか、もう少し早い時期だったか。どこで判断すれば被害は最小だったか。
私にしかできなかったことと、私じゃなくてもできることの判断を、もう少し早くできたのではないか。

というかそもそも、私にしかできないことなんか、この世の中にないんじゃないか。

________

ところで、明けない夜明けはないと言われるけれど、いつも人生には「潮目」というものがある。私は、この「潮目」だけは、逃したことがない。

あー、潮目が変わったな、と何かの新月の時に思った。いちばんきつい山はあいつだった。そういう瞬間があった。ここからはあとはひたすら走ればいい。

まだ抱えている原稿の数は多い。数は多いとは思う。
でも、ここから先は、ひとつひとつちゃんとピックアップして、慎重に足を運べば間に合う。もともとその力はあるんだ私。ウルトラCはもう必要なくて、お前が得意な胆力で動けば間に合う。

そういう感じだ。粛々と生き生きと書く。書き続ける。

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2019年もあと数時間で終わるといういま、私はなんでこの文章を書いているのか、ちょっと自分でもよくわからない。誰も得しない文章だろうとも、思っている。一番得しないのは私だ。

でも、ひとつ理由があるとしたら

私は、フリーランスで、誰かに弱みを見せるのは死を意味すると思って生きてきた。背中を取られてはいけないと思っていた。

でも私が今年、学んだことは、弱みを見せることより怖いことがあるということだ。

それから

もう他の誰かに引き上げられない最後の最後まで、落ちてはいけない。ということだ。

潮目は変わったし、来年から私は多分、何食わぬ顔でまた仕事をするし、何ごともなかったように、楽しくにこにこ尋常ない分量の仕事をすると思う。

私自身が、苦しかった今年のことをすっかり忘れる可能性もある。私はとにかく忘れやすいし悩むことにも飽きっぽい。

だけど、これを書き残しておくことは、いつかまた何かあったときの自分のセーフティネットになると思ったので書き残しておきます。


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年末年始、氷点下の街にこもって原稿を書いている。
この数日で一冊書き上げたら、また東京に戻ろうと思っています。

来年はぶっ飛ばしたい。走るに走れなかった一年を経て、とにかく走りたい気持ちだけが前にのめっている。

故障なく走れるって、それだけで幸せだ。
2020年の私は結構強いんじゃないかと思う。みなさん、2020年もよろしくお願いします。


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