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昆虫食に対する忌避感の話

最近、特に昆虫食界隈において虫に対する陰謀論というか、科学的知見に基づいた意見に見せかけた忌避感の表明のようなものを多く見た気がする。それについて個人の意見を書きます。
※最初の画像はANTCICADAさんの蚕のソーセージです。

虫はなぜ不快に思われるか

僕を含め例外は多いと思うけど、まず前提として、虫は不快なものとして(少なくとも世間的には)扱われています。このことは害のない虫を不快害虫などと呼称して駆除の対象としている現状からも明らかでしょう。
では、なぜ虫は不快は不快扱いされるのでしょうか。去年、虫嫌いについての論文

が話題になったりもしましたが、ここには未知への恐怖があると思います。
論文内でも都市化による影響や高齢者ほど忌避感を持つ人間の割合が少ないことが触れられています。僕が普段行っている昆虫館でのボランティアや自然体験教室などでも当初忌避感を持っていた人が解説を聞けば普通に虫を触れるようになるという事例は多く目撃しました。
また、都市化によって増殖した人にとって「未知」の生き物のうち節足動物というのは体が硬質であることや足の本数、動かし方などの点で我々哺乳類とは大きく異なるということも理由の一つであるのではないかと考えています。
このことから虫に対する「未知」というものが虫に対する嫌悪感の根源となっていることは間違いないといえるでしょう
※マスコミや殺虫剤メーカーによる誤ったイメージの影響も大きいと思ういますが虫そのものの印象とは別問題なので今回は触れません。

お気持ちと正義の話

近頃、「自分が嫌だ」という個人の感情を飛び越えて「いやなものが存在することはおかしい」という論理に飛躍する事例を多く目にする気がします。(まぁ、昆虫の界隈ではジャポニカ学習帳から昆虫が一時期消滅していた件など同じような事例はそこそこあるし、僕と同世代だと不快感を理由に迫害を受けていた方も多いとは思いますが)
これは社会的正義ということに多く言及されるようになったことに起因すると思います。
本来であれば、商品や文化というのは個々人のニーズを満たすものに過ぎないはずですがSDGsの文脈などによりこれは正しい文化であるという風に取り上げられるとよく知らない、あるいは自分に関係ない分野のものでも、自分の思想と対立するもののようにとらえてしまうという点です。
何らかの意見を聞いたとき、少なくともそれを求めている、あるいは好んでいる誰かがいるということを念頭に置いて、意見そのものに対しては否定的であっても、それを好む他者に対しては否定的でない、そのような心のありようがより求められる、そんな時代になっているように思います。

昆虫食ブームの過ち

今回、昆虫や昆虫食に対する否定的な意見が噴出した理由には内閣府の食品安全委員会の出した情報が誤った解釈で引用されたことが大きいと思います。
一方で、このような陰謀論にも近い形で否定的な意見が盛り上がったことには個人的には昆虫食がゲテモノとして市民権を得るようになった今までの経緯にも問題があると思っています。
もともと、日本では昆虫は広く食べられてきたし、私が知る限り岐阜や長野とその近郊では今でも名産品やお土産として普通に昆虫が売られています。
一方で、近頃取り扱われる文脈での昆虫食はユーチューバーなどが一種の罰ゲームのような形で取り上げてきたゲテモノとしての側面が多分にあります。
このゲテモノとしての取り上げられ方の何が問題かと言えば、背後に歴史が見えにくいということでしょう。こういう場で取り上げられる昆虫食というのはたいてい乾燥させただけで特に料理にもなっていなければ古くから食べられてきたわけでもない、文化でも嗜好品でもない場合が多いのです。
このようなものを目にしたうえで、将来的な食糧不安を煽られれば昆虫食に対する忌避感を感じるのは当然と言えるでしょう。
一方で、上で取り上げたような文化として残る昆虫食は、当然ながらおいしいから残っているわけですし、見た目が虫っぽくない昆虫食を出す店は近年かなり増えました。(私は甲殻類アレルギーで昆虫もあまり多量に食べられませんが好んで食べることはよくあります)
また、いくらおいしくても昆虫食が食べられないという方でも例えば昆虫を飼料として使い生産された畜産物であったり、昆虫のタンパク質を使って合成された培養肉など、昆虫を間接的に用いた食料の可能性はいくらでもあります。
昆虫の利用を、来るかもしれない強制された未来ではなく、未来の選択肢を広げる可能性として取り上げる。そういった姿勢が世の中に必要とされていると思います。

まとめ

昆虫食というのは少なくとも現状では確定した未来というよりは未来に増えた新たな選択肢としての側面が大きいと少なくとも私は考えています。
なるべく正確な認識を持つこと、選択肢そのものに対しては忌避感を感じていてもその選択肢を好む人間のことは尊重すること、そういったことが今回の問題に限らず、現代を生きるうえで必要となるのではないでしょうか。


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