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入院生活で実感したサードプレイスの必要性

サードプレイスとは家庭(第一の場)や職場、学校(第二の場)とは別の居場所(第三の場)を指す言葉です。
私はもともと同年代のコミュニティにうまくなじめなかったこともあり、かなり第三の場に依存した人生を送ってきた人間なのですが、今回入院にあたりリアルでの関係性を切り離され、改めてそのような場所の重要性を感じたので思ったことを書きます。

現代におけるサードプレイスの必要性

サードプレイスとはアメリカで提唱された概念ですが、要するに現代人は家庭と職場や学校を行き来するだけの生活を送っており、ストレスをため込みやすいのでそれらとは別の居心地の良い居場所が必要だという考え方です。

もともとはカフェやバーなどを指す言葉だったようですが、広義の意味として純粋に自分らしくいられる場や外部のコミュニティとして言葉を用いらせていただきます。
サードプレイス提唱者のオルデンバーグ曰く、サードプレイスの条件とは
1. 中立な場所
2. 平等な場所
3. 会話が重視される場所
4. 近づきやすく親しみのある場所
5. 規則的な場所
6. 目立たない場所
7. 陽気な雰囲気がある場所
8. 家から遠くない場所
となっています。まとめると、日常的にアクセスできて個々人が持つ様々な属性にとらわれることなく明るくふるまえる場所ということになるでしょう。
あくまで私の体験からの話にはなりますが、誰もが職場や学校で自分らしく振舞える場所があるとは限りません。実際私もかなりつらい時期がありましたが、近所の自然環境であったり、かわいがってくれる方たちの中に居場所を見つけることができたので、結果として負けることなく無事に学校に行っていたので、サードプレイスを見つけることは現代の問題に対する有効なアプローチになりえると思います。(別に逃げてもいいとは思いますが)

孤独とサードプレイス

人間は社会的動物ですから、本来一人で生きるようにはできていません。一方で現代人は上で挙げたように地域社会との関係性が薄まっているうえ、単身世帯化が進んでいるために下手をすれば第二の居場所にしか人との関わりがないという人も一定数存在するのが現実です。
僕の場合も現在は一人暮らしで家族も遠方ということがあり、病気で何もできない、下手をすれば今後の人生がだめになるかもしれないとなった時には自分はもう誰からも必要とされないのではないかという絶望にも似た不安でした。
親族や友人からもかなり心配はしてもらってはいましたが、自分はひねくれているので、こういった利益度外視の心配をしてもらってもうれしい反面、それでも社会に居場所はないのかもしれないという不安で胸がいっぱいでした。
そんな中で希望を持てたのが、現在ボランティアをしている昆虫館の関係者や過去に取材などでお会いした方々による励ましであったり、何かできることはないかという声でした。こうした声を頂けると、自分はまだ社会に居場所があるんだという気持ちになり、かなり精神を安定させることができました。
まだ、リアルでの交流は行いにくい社会ではありますが、だからこそ何らかのコミュニティに所属しておくことが孤独による不安を乗り切るポイントであると思います。

まとめ

サードプレイスを持つことは、自身の抱えるストレスを解消し、よりよく生きることにつながると思います。現代人はかなり忙しく、余裕がないかもしれませんが固定された居場所に縛られず、きちんと自身がリラックスできる場所を見つけておくと追い詰められた時にもそれを乗り切る役に立つかもしれません。
また、私の活動の話になりますが、自分にとっての身近な自然であったり、憧れやなじみを感じる原風景のような場所はサードプレイスになりえると考えています。里山農業プロジェクトを通して皆さんがそういった場所を見つける手助けをしていきたいと今回改めて実感しました。

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