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「君の尺度でなく、自然の尺度で」


林学博士 西野がなぜ、森づくりの道へ進んだのか。今の活動に大きな影響を与えた、今は亡き宮脇昭先生との出会いとともに、これまでの道のりを綴ります。

「木を植えることは心に木を植えること」

 タブノキ!!! タブノキ!!! タブノキ!!!」大きな声で発せられた宮脇昭先生の言葉は、その場にいた人々の視線と意識を独り占めにし、当時一〇歳の私には他の大人の誰よりも強烈かつ不思議な印象を受けました。
 まだ幼かった私は「このおじさんは何で同じことを三回も叫んでいるのだろう。」と思っていました。

小学生の頃の筆者と宮脇先生

 今思うと、この時点で宮脇先生の術中にはまっており、一五年後には自分が壇上で「タブノキ!!タブノキ!!! タブノキ!!」と叫び、宮脇方式について人々に説明しているとは夢にも思いませんでした。
 宮脇先生に出会ってから多くの人が、良い意味で人生を狂わされたのではないかと思います。私もその内の一人で、まさか自分が森づくりに生涯を捧げるとは思いもせず、宮脇先生に出会った時から仕組まれたのではと考える日もあります。
 宮脇先生が「木を植えることは心に木を植えること」と言った本当の意味は、森づくり"とは“人づくり"なのではと思いますが、その真意について宮脇先生に問うことが出来なくなってしまったのは悲しくてなりません。
 しかし、私が人生の節目で宮脇先生にお会い出来たのは大きな財産で、お会いするたびに私の心に木が植えられたような気がします。
 それはいつしか、大きな森へと成長し、今では私の人生そのものとなりました。
 振り返れば私の父親も同じことを思っていたのかもしれません。
 私の父親は二七歳の時に宮脇先生の研究室で中村幸人先生や藤原一繪先生などと共に植生調査し、その後地元である大分に戻り「良い森をつくるためには良い苗木が必要だ!!」と信念を掲げて三一歳の時に苗木生産会社を設立しました。
 そのような環境で育ったため、小学生、中学生、高校生、大学生、それぞれの時期に宮脇先生にお会いし、お話しができたのは幸せだったと歳を重ねるごとに感じます。
 二〇〇六年一〇月二一日、高校三年生の時イオン植櫛祭で宮脇先生にお会いし、当時拝読して感動した『植物と人間』に「共に前向きに木を植えよう」と直筆をいただいたのは、今でも心の支えになっています。

「植物と人間」にサインをいただいた

「君も森づくりを手伝いなさい!」

 その後、私は東京農業大学に進学し中村幸人先生の研究室に通いました。学部二年生の時に宮脇先生が農大で講演する機会があり、聴講した時に、学問と社会の架け橋の重要性について気付かされ、大きな衝撃を受けました。
 そして、そこから宮脇先生の本質を知りたくて、中村先生に宮脇先生自身のことや宮脇方式について色々と質問したのを覚えています。
 その数年後には「宮脇方式でつくった森にはベニシダやヤブランなどの下層植生が出現しないのは問題ではないですか?」と宮脇先生に不様な質問をしたのを鮮明に覚えています。
 その質問をした瞬間に、宮脇先生の目つきが一変し、私の目を穴が開くほど見つめたまま「君の尺度で自然を見るのではなく、自然の尺度で見なさい !!」と言われました。
 それ以降は自然だけでなく全ての物事に対する考え方が変わったのを覚えています。
 二〇一一年三月一一日に未曾有の災害が東北地方を襲い、東北地方沿岸に「森の防潮堤」をつくることを目標とした「一般財団法人 瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」(細川護熙理事長、宮脇昭副理事長。現公益財団法人 鎮守の森のプロジェクト)が二〇一二年七月に設立されました。
 その活動の中で二〇一三年六月九日に岩沼市の植樹祭が行われ、宮脇先生にお会いした時に「君も森づくりを手伝いなさい !!」と数年前と同じ眼光で言われたのが嬉しかったのを覚えています。

岩沼市での植樹祭にて。2013年6月

大切な恩師の元で助手として活動した日々

 その後は財団の技術部会員として、東北地方沿岸で”いのちを守る森づくり"をお手伝いさせていただき、時には壇上で一五年前の宮脇先生のように「タブノキ!! タブノキ!!! タブノキ!!」と叫び、皆様の前で植樹指導をする機会もいただきました。
 そんな中、二〇一四年一〇月三日に大分県で宮脇先生が講演される機会があり、その時に宮脇先生の近くで助手をさせていただき、宮脇先生が皆さんの心に木を植える姿を見て感動したのを覚えています。

大分県での講演会。2014年10月

 その翌年に突然倒れられてからは、お会いする機会が少なくなり、最後に一緒に木を植えることが出来たのは、二〇一九年四月一四日の秦野の植祭でした。
 その時に、恩師である中村先生と宮脇先生と私で写真を撮ることができ、子供の時に出会ってから今までのことを思い出し、大変感慨深かったことを覚えています。

秦野市での植樹祭にて。右は中村幸人先生。2019年4月

 両先生ともに徹底した"現場主義”ですが、お二人から御指導いただく時に言葉では言い表すことの出来ない何かを感じていました。それはお二人の恩師であるDr.Reinhold Tixen 先生の面影ではないかと個人的に思ってい
ます。
 私自身、今まで大事な人を亡くしてきましたが、人がこの世を離れるのは二度あると思っています。
 もう宮脇先生にお会いすることは叶いませんが、心の中には生き続けており、先生から受け継いだものを次の世代に託したいと思っています。
そしてそれは日本にとどまることなく、世界中で展開し、それぞれの国や気候に適した宮脇方式を確立し、最終的には子供でも森づくりができるような森づくりの教科書をつくり自分の使命を果たします。
 もしも、森づくりの扉を開く者が来れば、拒む事なく「共に前向きに木を植えよう」と言いたいと思います。
 宮脇昭先生の御生前の御功績と御厚情を偲び、深い哀悼の意を表します。


※このnoteは「九千年の森をつくろう!日本から世界へ新宮脇方式の森を発展させる会=編」より加筆修正したものです。

<著者>
株式会社グリーンエルム代表取締役社長
里山ZERO BASEプロジェクト代表
西野文貴

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