Nagasaki旅: 外海地区編
長崎市内から車で約1時間弱車を走らせる。
一見私の住む静岡の海岸沿いと変わらない景色?!
と思っていたら、高台に白い教会が見えてきた。
黒い軽自動車をシスターらしき姿の女性が運転している。
静岡の沿岸では見ない景色に、改めて私はここは外海であると感じていた。
外海地区は潜伏キリシタンの集落がある場所である。遠藤周作の小説、沈黙の舞台となった場所。
外海の大野集落の大野教会を訪ねる。
事前に案内をしていただけるよう申し込みをしておいた。
大野教会は明治になってから1893年にフランス人のド•ロ神父が集落の大工さんと大野地区に住む方のために建てた石積みの壁が特徴の教会である。
石積みの壁にアーチ型の窓、屋根は瓦を使っている。和と洋が混在する素朴で温かみのある雰囲気の教会だ。
石積みと木材の教会にマリア像が白く輝くように立っていて神聖な雰囲気が漂う。
この石積み壁の手法はド・ロ神父が考案したそうで、ド・ロ壁と言われている。
隣の出津集落の出津教会は1879年にド•ロ神父がこの地に来て初めて建てた協会だそうだ。
時代をさかのぼるとかつては、外海には多い時は5000人もの信者がいたそうだ。しかし、江戸幕府の禁教政策により次第に潜伏キリシタンとして信仰を隠していくようになる。博物館の中に外海の昭和初期頃の写真集があった。
よくある日本の田舎屋の風景、古民家の中には仏壇がある、しかしその中は仏様ではなく、木彫りのマリア観音様があり、十字架が置かれている。
信者たちはそのマリア観音様に手を合わせ、オラショを唱える。オラショはお経のように聞こえるキリシタンの祈りの言葉であり、この地でひっそりと伝えられたこの地にしかない経典である。
こちらがド・ロ神父。明治の時代になってから、潜伏していたキリシタンがいたという事を知ったこのフランス人神父は何を思ったのだろうか?
ド・ロ神父はこの地に赴き、村の人たちと生活を共にし、集落の為に全財産を投じて教会、助産院、病院、マカロニ工場やそうめん工場を建設し、村の人達に仕事も供給し尽くしたそうだ。
大野教会、出津教会、助産院では、地元の方が案内をしてくれた。助産院を案内してくれた年配の女性は、自分の9代前の先祖がカトリックとなり、代々この地で信仰を守っておられるそうで、様々なお話をしてくれた。この地区は元々田んぼを作ることが出来ず暮らしは貧しかったそうで、当時の村の困窮ぶりを目の当たりにしたド・ロ神父が土木工事、医療、教育、仕事の供給、なんでもやったそうで、そのおかげで村が少しずつ豊かになっていったそうだ。
その年配の女性が話してくれる様子から集落の潜伏キリシタンの歴史を守る事と同時に集落の住人たちがド・ロ神父を慕う想いも伝わってきた。
その方曰く、集落の高齢化と共に伝える人手も減るばかりで、どうにもならないともおっしゃっていた。
今現在は、この歴史文化遺産を地元の方が大事に守られていて、彼らのご先祖のお話であると重みを持った話として伝えてくれている。日本のどこの田舎も(私たちが住む集落も)人がいなくなっていくという現実があるが、外海地区のようにここにしか無い歴史文化を抱えている地区は特にその土地から人が居なくなってしまう事はその文化や習慣を知っている人ごと消えてしまう。あと20年たったらどうなるのであろう?県や市から人が派遣されるのか?それはそれで話の重みがまた変わっていってしまうのではないだろうか?
帰りの車の中で夫と話しながら、このタイミングで訪れることができてよかったこと、特に地元の方々が語ってくれる話が大変貴重であったということを感じた。
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