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エッフェル塔、シャンゼリゼからのオベリスク散歩
パリ滞在3日目。
昨日はまだ体調が本調子でない中、午前中をオルセー美術館で過ごし、素晴らしい印象派の世界観に興奮したこともあり、ちゃんと体力を消耗。午後はホテルで爆睡した。おかげで十分休めたこともあり、今朝はだいぶ調子が良く、ホテルの部屋で朝食を食べながら、夫とどこへ足を伸ばそうか相談する。
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やはりパリに来たならば、エッフェル塔を見に行かねば。
とりあえず、近くの地下鉄からエッフェル塔へ、、、
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地下鉄の階段を上がり地上に出ると、じわじわと見えてくる、This is Parisな景色。
少し霞んだ青空、朝日に照らされたエッフェル塔は黒くたたずんでいる。
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近づいていくほど、その工業的なフォルムがリアルになっていく。
1889年に建築されたエッフェル塔は、フランスの富の象徴でもあった。当時の西洋は、建築技術や新素材の開発、産業革命により生産性は向上し、富は増大、相次いで高層建築が建設される時期。フランスがグングン来ているご時世を象徴するエッフェル塔。
私たちは、エッフェル塔を背にセーヌ川沿いをしばらく歩き、シャンゼリーゼ通りを目指す。セーヌ川沿いの散歩は実に気持ちが良い。
シャンゼリゼに出て振り返れば、かの有名な凱旋門も確認。
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シャンゼリゼ通り沿いのラデュレはただいま改装中。。。
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マカロンと少し前に発売したらしい新作のお品物も味見程度に買ってみる。メチャ甘だった。
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私は個人的に、コンコルド広場のオべリスクが見てみたい。
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このオベリスクはエジプト・ルクソール神殿のラムセス2世によって建てられた一対のうちの1本だそうで、19世紀にパリに運ばれてきたもの。どうやって入手したか?
1831年、フランスの海軍技官がエジプト総督のムハンマド・アリを口説き、ルクソール神殿のオベリスクを入手する許可を正式に得たそう。よく、エジプト側も許したものだ。それもそのはず、19世紀初めのエジプトはオスマン・トルコの属領になっていて、ムハンマド・アリ総督が統治していた。エジプト人でもないムハンマド・アリは古代エジプトの建造物にはまったく興味が無く、英仏両国の要求を容易に受け入れる人物だったそう。
そもそもオベリスクは、古代エジプト文明の神殿の入り口に建っている物。そのエジプト文明のシンボルである現存する30のオベリスクのうち、エジプトには5本しかなく、あとは西洋諸国に散らばっている。
パリのコンコルド広場、、ローマのポポロ広場やナヴォーナ広場、ロンドンのテムズ川沿い、ニューヨークセントラルパークにもある。セントラルパークにエジプトのオベリスクって?!
著名な観光地となっている広場の中央にオベリスクがそびえ立っている。これっておかしくない?なぜ?
もともと古代エジプトの神殿にあったオベリスクだが、ローマ帝国が覇権を握っていた時代、たくさんのオベリスクがローマに運び込まれた。ある意味戦勝国の戦利品的なものにされてしまっただろう、、、、
ローマ時代に運ばれてきたもの、19世紀に交渉で持ち込まれたもの、世界中のオベリスクも様々な歴史を抱えている。
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周りに刻まれている私には解読不能な象形文字には何が記されているのかな?青空へそびえ立つ神々しいオベリスクを眺めながら、
ラムセス2世が紀元前13世紀、今から3200年前にルクソール神殿にコレを建造し、その600年後ここへと移された。そんな長い歴史を歩んできたこのオベリスクに想いを馳せる。
そしてかなり歩いた私たちは、腹が減った。
フランスっぽく、ガレットランチを食べようではないか。
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ひとつは、ハムエッグともう一つは、ビネガレットドレッシングにチーズが載ったサラダ系のガレット、ふた皿とも大変美味しかった。
腹を満たし十分休んだ私たちは、ノートルダムの方に足を伸ばす。
お目当てはステンドグラスが美しいセントシャペルだったが大行列では入れず、ジェラートをたべながらノートルダム大聖堂の周りをうろうろ。
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ノートルダムは火災で塔が焼け落ちて以来、工事中で塀に囲まれている。
塀には当時の生々しい火災の様子が展示されている。
そして、懸命な再建の様子も写真とともに見ることができる。
観光客も地元の人も温かくそのプロセスを見守っているようだった。
再建されて蘇るノートルダムを将来見にきたいものだ。
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パリ3日目は、これで終わり。
明日はいよいよ、ルーブル美術館。
続く。。。
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