「生き物の死にざま」(著:稲垣栄洋・草思社)読了しました。
題名のまま、色々な生き物の死にざまが描かれたエッセイです。
紹介している死にざま
セミ・ハサミムシ・サケ・アカイエカ・カゲロウ・カマキリ・アンテキヌス・チョウチンアンコウ・タコ・マンボウ・クラゲ・ウミガメ・イエティクラブ・マリンスノー・アリ・シロアリ・兵隊アブラムシ・ワタアブラムシ・ハダカデバネズミ・ミツバチ・ヒキガエル・ミノムシ・ジョロウグモ・シマウマとライオン・ニワトリ・ネズミ・イヌ・ニホンオオカミ・ゾウ
命の儚さ、尊さ、そして動物に対する愛情と人間のことも考えさせられる一冊だった。僕たち人間は、この地球を征服し支配した動物だと自認しているが、本当にそうだろうか。小さな虫や動物から考えさせられたのは「人間とは何か」だった。
人間の血を吸う蚊がどんな境遇で屋内に忍び込み血を吸っているか、彼らの目線に立って描かれているこのエッセイで一番伝えたいことはそこだった。
読後感は悪くない。ぜひ読んで見ていただきたい。
その中で「ハダカデバネズミ」をピックアップしたい。
先ずは下記の太字だけでも読んで欲しい。
簡単に言えば、不老の生き物である(不死ではない)。彼らには老いるということが遺伝子でプログラムされていないことが分かっている。なんて羨ましい!!と思ったのだが、僕たちのずっとずっと祖先である単細胞生物はそもそも老いることはプログラムされていなかったらしい。何らかの理由で、進化の過程の中で老いていくということをプログラミングされたということだ。つまり人類の祖先は老いて死ぬ=古いものを壊し新しいものを創り上げることを選択した。
我々の染色体にはテロメアという部分があり、そのテロメアが経年劣化していくことで老いが生じることが分かっている。つまりテロメアは老いて死ぬために用意されたタイマーである。人間の欲望として不老不死が挙げられるが、このテロメアは多くの生物が自ら望んで獲得した時限爆弾なのだ。
何故僕たちの先祖は不老不死を選ばず、老いて死ぬことを選択したのだろうか。その理由が分かれば僕たちは喜んで死を受け入れられるのかもしれないが、きっとそれは難しいだろう。
少なくとも日本の80歳を超えても引退をしない政治家たちには、到底理解できないだろう。そのこともまた人間という生き物の死にざまなのかもしれないですね。それこそハダカデバネズミのような醜態を見せて黒塗りの車で永田町をウロウロ徘徊することが生物としてどうなんだろう?
皆さんはどう思いますか?