多様性という言葉が死語になる時代
毎回なんとなくモヤっとする。日本テレビ系列で放送している「24時間テレビ」のことです。第1回は僕が小学生のころ、戦後という言葉も消えた昭和真っ盛り、バブル前の丁度ちびまる子ちゃんの時代くらいだったかと思います。
たしか世の中の障害者たちに手を差し伸べよう!的なところから始まった企画だった気がします。可哀そうな障害者たちに、健常者である皆さんからお金を募って支えてあげましょう!そんな感じ。小学生だった僕としては「なんていいことをしているんだろう」と思ってたと思う。優性思想的な考え方なんて生まれついてのものだから、おかしいなんて全く思ってなかった。
つまり自分は生まれついての健常者であり、生まれついての障害者である可哀そうな人たちには優しくしなくてはならない。そこに疑問を持ち始めたのは本当に大人になってからだ。
僕にとって24時間テレビ第1回が放送されるまで、障害者の存在すら知らなかった。知らないわけではないが、可哀想とか思う前に、そういう人たちがいることをちゃんと理解しようとしていなかった。これは僕のせいじゃなくて世の中もそうだったと思う。小学生だから行動範囲が広いわけではない。小学校のどこか一室が「特別支援教室」みたいな名前の部屋になっていて、そこにいくと大きな字で「あ」「い」「う」「え」「お」とか、小学校1年生でも終わってそうなことを同じくらいの子が学んでるのを遠目で見たことはあるが、そこがどういう教室かを説明してくれる先生もいなかった。おそらくだが、障害者は隠すのが当たり前とされていた時代だったんじゃないかと思う。そんな時代に「24時間テレビ」は始まった。誰もが見てみぬふりをしていた社会の汚物のふたを開けたのだ。そこには大いなる意義があったと僕は思う。
そして時は流れまくって、小学生だった僕は55歳になりました。24時間テレビは47回目だそうで。よくまあ続いたもんだなとも思いつつ、僕の人生にとってこの番組は少し関わるようになっていました。
大人になって結婚して、知的障害を持った子供が生まれた。24時間テレビのおかげで僕は「可哀そうな子供の親になった」わけだ。助けてあげてもよくってよ、と言っていた健常者側から一転、施しを受ける側になったのです。そのとき「ラッキー!」とか思うはずは全然なく、これから先はみんなから「かわいそう」「大変ねえ」と言われる人生が始まるんだと、簡単に言えばお先真っ暗になりました。
思えば24時間テレビに出ていた障害者側の人たちはみんな「ありがとうございます」と感謝ばかりを言って、芸能人たちは「がんばってね」「応援してるわ」と言っている。これはたぶん47回の番組の歴史の中で一度もブレずにそうなっているような気がする。
そんな僕を「お先真っ暗」にした子供は25歳になった。それなりに障害者をやっているが、思ったより全然楽しい子育てであったし、本人が圧倒的に人生をエンジョイしている。いわゆる老人ホームで介護士たちと一緒にスタッフとして働いて5年になり、ある種ベテランかのような態度で働いているようでもある。これまでの結果、息子は幸せに暮らしているし、僕も妻もおそらく健常児の子どもを育てるのと同じような苦労しかしていないような気がしている。そして時には息子を尊敬することもあるほどだ。
これは、時代が大きく変化したことが理由だと思う。今や歩いているだけでも障害がある人たちを目にする機会はたくさんあるし、障害者だから可哀想とい思考にはならない。「障害者だから大変なことがある」と理解することのほうが多くなった気がする。それは障害者だからではなく、老人だから、足を骨折してるから、妊婦だから、と同じレベルのことだ。
障害にはいろいろなレベルがあり、すぐに命を失ってしまう人もいるし、一生何も理解できないで生涯を終える人もいるし、五体不満足で早稲田に行くような人もいれば、パラリンピックで100メートルを10秒を切る選手も出てくる。
当然ほとんど24時間テレビは見ないが、夕方、両足のない車いすインスタグラマーのみゅうさんが出ていたのをチラッと見た。みゅうさんは僕的にはTIKTOKERとしてフォローしている方だったのもあって、知り合いが出てるような気持ちで見た。その中で言った彼女の一言は衝撃だったし、あまりにも正解だと思った。
多様性って言葉は多様性ではない社会だからある言葉だと思うんです。多様性って言葉が死語になる世の中になればいいなと思います。
これで溜飲が下がりました。24時間テレビなんて悪質な感動ポルノでしかないと思っていた子育て時代。そのときにぽつぽつと言われ始めたのがダイバシティ、ノーマライゼーションという言葉たち。
でもそうじゃないんです。1978年時点で24時間テレビは革命を起こすほどに必要なコンテンツだったし、それが偽善だと言われても、続けてくる理由があったと思います。思いますよ日テレさん。この番組が始まったおかげで、これまで日陰でしか暮らせなかったマイノリティの皆さんや障害者たち、その親族たちが、堂々と陽の光を浴びることができるようになったんですから。
でも、奇しくも今回の24時間テレビの中でみゅうさんが放った「多様性という言葉が死語になればいい」という発言は、24時間テレビはもはや不必要だと思う。マイノリティを番組が宣伝する時代じゃない。
そう言っているように聞こえました。
24時間テレビはもう要らない。今回で最終回にしたらいいと心から思いました。でも、そういう英断ができないのが大企業なんだよね。止める勇気ってなかなか持てない。
であれば次の30年にとって必要な24時間テレビを考え出さなくてはいけないんじゃないでしょうか。それが何か分かってたら俺がやっとるわ!!