海に眠るダイヤモンド 完走感想
初回でたまげたのは「美術」でした。
長崎県に軍艦島というのがあることは知ってました。
廃墟の島。
それが僕の知っている唯一の軍艦島の情報でした。
考えてみれば、廃墟があるということはそこに暮らしていた人がいる。
当たり前のことなのに、僕はただ軍艦島の姿に圧倒されていたのだと思う。
「海に眠るダイヤモンド」は軍艦島に生きていた人々の昭和史。
現存する軍艦島が端島と呼ばれていた時代。
石炭採掘に命を懸けて、小さな島に5,000人ものコミュニティがあったことに驚かされる。そしてそのことをドラマ化するということは、あの廃墟を現代に蘇らせる作業をしたということだ。それだけでTBSすごい。あの島をどうやって再現したのかを考えただけで本当にすごい。実写部分とVFX部分とその他もろもろの合成技術を駆使したのだと思うけど、金の力なのか、情熱の賜物なのか。
最終回まで見たことで、なぜ神木隆之介が荒木鉄平と玲央の二役をやったのか、その決定的な理由は見つからなかったのが悔やまれる。これはどこかで台本の進路変更があったからなのか。それとも最初から決めていたことなのか。ストーリーテラーの玲央、結ばれなかった朝子が人生を通して愛し続けた鞍馬天狗・鉄平。腑に落ちなかったのはその部分だけだったけど、結構大きな問題ではあると思う。
最終回の台本を読んだ神木隆之介は何を思っただろう。おそらく物語として自分が二役を演じていることの意義を探したに違いない。秘書のサワダージが鉄平の兄の息子だったことをどう受け止めるかが神木さんの魅せどころのひとつだったかもしれない。ただ物語の期待度として、いち役者の神木さんができることには限りがあるよなあ。
最後に出水朝子が見た、端島が見えるコスモスの花たち。鉄平が朝子を思い続けたことは、今は朝子と玲央しか知らない。老齢になった朝子はそこから生きている意味、続いていく記憶に希望を抱く。端島の知人がみんな死んでしまっても、端島の記憶が消えてしまいそうになっても、あの部屋にはギヤマンのダイヤモンドが置かれている事実がある。
美しいテーマで終わりを迎えたが、脚本の野木さんにも、演出の塚原さんにも確固たる骨太なストーリーが見いだせなかったのかな、と思ったりする。完走した結果大きな感動はあったのだが「ああ、このセリフを聞きたかったからこのドラマを見続けたんだ」と思わせるものが見当たらない。不思議なのは、それなのに何故か感動している。
残っているのは端島の記憶が美しいものだったと知った宮本信子さんの表情ばかりだ。つまり、宮本信子さんの芝居と端島の存在がこの物語の全てだったのかもしれない。それでもこの物語に出逢えて良かったとは思う。
原爆被災者の百合子、端島から出られない食堂の娘・朝子、本島から端島に逃げてきたリナ。炭鉱で働く男たち、工場長、外勤さん、貧富の差。やくざの世界。それぞれの戦中・戦後の歴史はとても1クールでは収まらないはずだ。その上、端島(軍艦島)の栄枯盛衰という大きな歴史がある。こんなん面白くないわけないじゃん。
埋められなかった朝子の人生のパズルは、一途なゆえに淋しかった鉄平の生涯というピースで埋められていった。来世では必ず二人の愛を成就させたいと願い、虎太郎との結婚生活に一定の満足を感じる。人の想いというのは一筋縄ではいかないけれど、それもまた人生なのだな。
大河ドラマ「光る君へ」にも似た感情ストーリーという意味では「光る君へ」のほうに軍配を上げざるを得ないなあ。
神木隆之介と宮本信子の芝居を堪能できたことに尽きるな。
あと美術さんの仕事が素晴らしすぎた。
改めて「ストーリー作りって大切だな」と感じる作品でした。
モノ作りをしたいと思っている自分にとってはいい勉強になりました。
すいません。以上です。