見出し画像

生まれて初めておっ〇いを触った話

親父の仕事の関係で、〇林宣彦監督が我が家に訪れることが度々あった。子供の頃からかなり恵まれた環境である。そんな〇林作品に大学生の兄が大抜擢されたのだが、その時に「いつか僕も〇林監督の作品に出るんだ」と非常に勝手に思っていた。そしてその思いはまったく叶わなかった。

確かに弟の僕から見ても兄はモテていた。腹が立つほどに。よくみれば僕と兄は似ている部分もあると思うのだが、周りにはそうは見えていなかったらしい。聞いた風な不良の真似事をして、バイクを盗んで捕まって、アメリカ留学に行く夏休みが、反省の日々になった兄だったが、ピアノやジャズオルガンを弾きこなし、バンド活動でもモテモテだった割に学生カバンに暴走族のステッカーを張っていた。今思えばアレか?横浜銀蝿か?アラジンか?兄の通っていた私立の学校は校則が厳しく、あんなリーゼントではなかったが、それなりにキメていたのかもしれない。そしてそんな良い思いばかりの青春を送っていた兄のイキザマを僕は嫌いではなかった。というより憧れていた。6歳の年の差だから、小3のときに兄は中3、小6のときに高3。憧れてもしかたない。

そんな僕は割と早い段階で「容姿ではムリだ」と思っていた。何なら小学生高学年のときにはすでに分かっていた。であれば、どうしたら女の子のおっぱいを触れるのか。兄のように青春モテライフを充実させることができるのだろうか。時代は80年代初頭。「ザ・ベストテン」もやってたが「ひょうきん族」「8時だヨ!全員集合」もやってた。僕は知ってしまった。容姿はそこそこでも面白ければ結構女の子にキャーキャー言われるはずだと。でも当時一番おもしろかったのは「お笑いスター誕生」だったなあ。特にブラザー・トムとコロッケが好きだった。とんねるずも出てたんですよね。覚えてないけど。

そんなわけで僕は小6の掃除の時間のときに、同じクラスの女子に持ち掛けた。「おっぱい触らせてくれる代わりに〇ンコ触らせてやる」面白さを磨いた僕の真骨頂だったと思う。これが許諾されればエロも笑いだということが証明されるのだ。「えー?やだー!マジで?」とか言っていた女子は結局興味と僕のトーク力に屈して承諾した。おっぱいは柔らかかった。そのとき僕は恐らくエロい顔はせず、いたずらっぽいデヘヘ顔をしたはずだ。そして女の子は僕の〇ンコを意外とギュっと触った挙句「やだー気持ち悪い!!」と言いながら爆笑したのだった。

あ、キモい話だと感じたらごめんなさい。僕にとっては甘く切ない青春という言葉のはじまりのはじまりみたいな出来事でした。

この記事が参加している募集

#ふるさとを語ろう

13,638件

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは劇団活動費などに使わせていただきます!