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支援者支援に対するもやもや

 今日も暑いですね。中高を共に過ごし、今NYに住んでいる友達が30度で暑いと言ってるので、日本は36-7度だよと言ったらありえないって言ってました。だよね、うちらが中学生だった15年くらい前は体温と気温が同じなんてありえなかったよね。

 さて、今日はあの痛ましい事件の日ということで記事が出ていて読みました。

 この記者がどうだとかはよくわかりませんし、障害を持ちながら生きるということについて深く考える気分ではないので、ここでは省きます。
 ただ、気になったのは記事の最後の「過酷な現場で働く支援者を支援する必要がある」というところ。

 障害、児童、高齢、触法…他、なんでも福祉分野には過酷な現場があるかと思います。そして、その過酷な働きぶりに対して報酬が低すぎると思います。絶対に必要な分野、そして必要だけども市場原理にのらないからこそ福祉として存在している。
 だから大儲けはできないけども、確実に社会のインフラとして、システムとして質の高いものが維持されて、いや、時代に合わせてアップデートされて行かなければならない。私はそう思っています。

 だから、その仕事を堅実にやることで生活が十分に成立するような給与体系や一人一人に負荷をかけすぎない労務管理や教育体制の確立が急務なのは間違いありません。
 私に関わってくれている良き人々の無茶な働きぶりやお給料を聞くと、えーそれじゃだめよー!!もっとこの方々を大事にして―!って思うことも多々。本当に良き支援をしてくださっている方は、過度の依存とかではなく命の恩人であると思っています。

 ただね、同時に給料や教育(主にOJT的な意味)を整えれば今の福祉が良くなるかというとそんな気が全くしないのです。

 支援者支援…その言葉がスーパービジョン的な意味ではなく、自分たちの「思うように動かない・言うことをきかない」利用者対応のストレス発散みたいになっている風潮を一部に感じるのです。
 むしろ現状、福祉サービスの受益者となる私たちは簡単にここから逃げられないのもあって、職員のストレスを文句や不祥事、働かなさすら引き受けている風すらあります。

 もちろん、どんなに試行錯誤をこらしても関わり方が難しかったり、言動に課題があったり、抱えている課題が複雑すぎる方はいるでしょう。そういったと向き合う、関わり続ける上でのストレスや現場での様々なジレンマというのは確実にある。
 けどね、それと、こちらも意思ある人間であることを忘れて「働く人の思い通りに動かない」と言われてるケースって、どちらも「支援者の困難」としてまとめられがちだし、後者に関してスーパービジョンや研修の機会があってもほぼ効果がない。そしてお給料があがったところでそういう人の仕事ぶりが変わるわけでもない。
 それを一言にまとめて「支援者支援」として支援者の待遇改善!としてしまうことにはちょっと疑問がある。

 はっきりいうと「根本として人を大事にする気持ちや、倫理観といったものがない人に対しては本当にどうしたらいいんだ」ってのが利用者側の本心です。
 そして、スーパービジョンなどではなく支援者支援という人の一部と話していると「まてまて、支援対象となる人の話が一切出てこないぞ!?働きやすさは大事だけど、誰のためのお仕事だったっけか?」となることがままあるのです。

 働く人はもちろん大事。というか人それぞれ自分の人生が一番大事。でも、自分の人生のために、他人の人生を犠牲にするのはやめてほしいなって思います。特にこの分野ではね。
 そして、「良い支援」をしている人たちが正しく評価されていき、待遇も良くなっていってほしいし、福祉の名をかぶった何か()は本当にどうにかしてほしい。
(規制緩和によって入ってきた「営利弱者ビジネス」が、「福祉」の顔をしてむしろ権利侵害を促進しているのは本当に腹立たしいけれど、基本福祉を必要としている人は、色々な意味で基本的人権充足のための闘いが難しい。だからこそ付け込まれる、行政もグルというこの闇に私は怒っている…)

 福祉って領域で働きながら、本当に本人のためになってくれてる人が、クライエント支援だけでなく、福祉のお面をかぶって働いている人のしりぬぐいまでさせられているこの現状は本当に腹立たしいし、
とにかく支援者支援という呼び名が、誠実に真摯に働いてくださっている方々が報われるためのものであってほしい、と切に願うのです。


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