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世界メンタルヘルスデーに寄せて①:メンタルヘルススペクトラム

 こんにちは。気温差に絶賛負けています。いや、涼しさとしては全然いいんです。けどね、準備が間に合ってなすぎて、寒い寒い…からの着すぎて暑い!と騒いで心身乱れております。

 さて、10/10は世界メンタルヘルスデーらしいです。Xで知りました。
目的は普及啓発らしいですが、1992年当時はそれで良いとしても、もう普及啓発なんて言ってないで積極的な課題解決をしてほしいものですけどね(笑)
 ってかライトアップってあれ普及啓発に意味あるんですかね?

 それはさておき、私は最近メンタルヘルスについて大きく二つ思うことがあるのです。
 1つがメンタルヘルスという言葉が身近になったことで、逆に軽視されたり誤解される問題が出てきていることへの懸念、もう1つが「辛いときには気軽に相談」って言うし、それ自体を否定はしないけど、その言葉の責任の重さを考えてる?ってことです。

 今回は前者について書いてみます。

メンタルヘルススペクトラム

 これは今私が作った造語です。数年前に自閉症が自閉スペクトラム症になったように、カチっと別れるものではなく、メンタルヘルスの問題もグラデーション的に問題の内容や質が変わるよなあと思っています。
 そして、どれもメンタルヘルスの課題として捉えられるけど、そのスペクトラムのどこに位置しているかの理解を誤って、適当な助言や介入をすると悲惨な結果になる。そういう意味でメンタルヘルススペクトラムと名付けてみました。

メンタルヘルススペクトラム  発案 by さとうさ

メンタルヘルスの概念拡大と自己責任論、犠牲者非難


 精神保健福祉士の名称もPSW(Psychiatric Social Worker)からMHSW(Mental Health Social Worker)になって概念が広がったんだろうし、医療全体も予防医療の発想が広まっている。そういう意味では、この図における、左の方の価値や比重が増えるのは必然とも言えます。そして左に行けばいくほど、「メンタルヘルスは誰もに関係する問題」であって、そうやって普及啓発することは良いことだと思います。
 
 一方で、一時的な精神的不調の範囲を超えて、ICDやDSMでの精神疾患の領域に入り、精神疾患として治療を要する人、そしてさらには疾患による困難が慢性化、固定化し、障害となってしまう人々というのも事実いて、そういった人たちのことも一緒くたにされてしまうのはスティグマ対策としては一定の効果が見込めたとしても支援を考える上ではあまり望ましくないようにも思います。
 しばらく前にこんなことを私は言って、なんだかんだ精神科医の皆様から一定の共感を得たようです。
 

 精神障害における重症例といえば、普通は大暴れして大騒ぎしている人を想像するのかなと思います。けど、実際はそれだけではなく、自分の身の回りのことができなくなってしまうパワーレスなタイプの人もたくさんいる。というか、病院でも数十年といる人はそういう人が多いんじゃないかな。ただね、そういう人ってのは出会わない人は出会わない。
 
 だからこそ、メンタルヘルスの概念が広がったことで「私も悩んでいました。けどこんな努力で乗り越えました。なのであなたも努力すれば良くなります。」(≒良くならないのはあなたの努力不足です)という【自己責任論】【犠牲者非難(victim blaming)】につながっている側面があるように感じています。
 左の方の人が頑張って自分の課題を乗り越えて安定を得たことは尊敬するけれど、右の方にいて生活がままならない、症状が安定しない人が努力をしていない、または努力の仕方が悪い、努力が足りないからそうなっているなんてことは決してないし、同時に、悩みに上下があるわけでもないとも思います。あくまで抱えている課題の質が違う、そういうことなのかなと。

 右の方に行くほど必要なのは福祉。生活に必要な色々を持っていない、または発症、闘病の経過の中で奪われていった人など…そういった生活の基盤が整わない人たちにストレスコーピングを説いても「そこじゃない」感が半端ないです。

 あと、セルフケアが出来ない状態の時に何でも入院させたがる人ってのもいます。精神科領域では身体疾患よりも医療は万能でない。もしそれが環境要因によるものであれば、入院しても、退院後同じ状況になるのであれば変わらないし、むしろ入院環境というのは生活力を低下させる。
「ーーできない=病院で治してきて」が精神科領域では必ずしも正しくないのです。

 そこら辺の理解が人によって大分違っていて時に当事者を追い詰めているなあ、と。

スペクトラムの位置と主観的辛さは相関しない


 確かに地繋ぎの世界線ではあるけど、上の図の左端と右端が同じ質の問題ではないことはどちらの端にいたこともあると思っている本人としては感じています。
 同時に左の方が社会的機能は高いけど、だからこその辛さがあることもなんとなく経験してきました。そして「あなたは~~だからいいね」といわれることのしんどさも。だから、私は他者のしんどさについて、その人の口から語られるもの、その言葉以上に絶対に何か言いたくないし、私の辛さについてもどうこう言わないでほしいと思います。主観的な辛さと持っているスペックや置かれている環境は関係ないのだから。「もっとつらい人がいる」なんてのはご法度だと思います。それ言って救われる人いる?っていうね。

まとめ

 メンタルヘルスの問題は大分身近になったかと思います。一方で、精神障害者の権利擁護やスティグマの問題が改善に向かっているかと言えば大分首を傾げちゃう感じでもあります。「福祉ビジネス」っていう名の新しい権利侵害がこんなに蔓延するなんて、一昔前は思わなかったでしょ。
 メンタルヘルスが誰にでもいつでも関わる身近な問題であるということと、あなたが経験してきた苦しみや乗り越え方と私やあそこにいるあの人が経験していることは同じメンタルヘルスの課題でも全くもって異質かもしれないってこと、それは俄然両立しうることだと思ってます。
 だからこそ、あなたの経験も私の経験もあの人の経験も大事。ただ、誰一人として同じ経験をしていないので、簡単に自分のn=1の体験を全てに外挿しないでね、それが私のささやかで強い願いです。

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