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『顔』以外の愛される理由ってなんだろう

「土曜ご飯行こうか」

画面が光ったと思ってスマホを見たら、緑の枠に囲まれてそう表示されていた。そんな淡白で絵文字のない言葉と、ほとんど決定事項のような文章を書く人を私はひとりしか知らない。スマホを裏返してから、いろんな感情を抱えていく。嬉しさと恐怖、倦怠感。ゆっくりと、裏返したスマホを拾い上げ、分かりきった答えを入力していく。

いつも、思うことがあって、私はきっと愛される人間ではないんだろうな、ということ。23年も生きてきたら、自分の顔が一体どのくらいのランクで、自分のバックグラウンドが一体どのくらいのランクなのか、分かる。学生時代勉強だけはそこそこしてきたおかげで、そこそこの大学には入れた。旧帝大とかMARCHとかそんな名の知れたところじゃないけど、『そこそこ』って名前がぴったりのような大学。「うちの家系から○大に行く子が出るなんて!」って当時は親戚みんなで盛り上がったが(うちの家系はほとんど高卒だった)、その2年後に従姉妹が京大に受かってから、まるでそれもなかったかのようになった。

とはいえ名前だけはそこそこの大学で、『大学名』という自尊心が私に付与された。自分の経歴のランク、悪くはない。そこそこだ。

でも、『そこそこ』の経歴なんて、結局あってもなくても変わらなかった。結局、必要なのは、顔のランクじゃないか、って、社会人になって思う。私の顔のランクは、それこそ底辺も底辺だった。大学にランクがあるように、顔にもランクがあるのなら、私はぶっちぎって『Fラン』だった。私の大学にはそこそこの経歴のかわいい女の子がたくさんいた。社会に出て必要になるのはそこそこのバックグラウンドじゃなくて、かわいい顔だった。

かわいく生まれたかった。

170㎝近い高身長と骨太の体格で、肩幅があって華奢には程遠かった。もっと華奢で弱々しく生まれたかった。靴だって26㎝を履くしかない。図体はでかいのに不思議なくらいに胸はないし、肌も浅黒い。一重の団子鼻、ニキビ面。経歴なんてなくてもいいから、かわいい顔とかわいい体が欲しかった。

私はきっと愛される人間じゃないんだろうな、と思う。だって今まで家族以外に愛されなかった。私には愛される理由がない。可愛くない私は愛されないと思う。


なのになんで誘ってくれるんだろう。

不思議になって、苦しくなったり嬉しくなったりして、感情をたくさん転がして、やっぱりわからないと思って怖くなる。『わからない』は怖い。私なんかといたって、あなたにいいことがあるわけない。あなたはいつか、私の顔が可愛くないって気がつくよ、きっと。「純粋で、いい子だね」と一度だけ言われた。酔っ払いながら手を繋いだ。その瞬間が、ずっと私は忘れられなかった。それが、私といる理由なのだとしたら、私をご飯に誘ってくれる理由なのだとしたら、それは、あなたにとって『かわいい顔』を上回る『愛す理由』になるのだとしたら。

こんなに幸せなことってないな、とそっと思いつつ、「行きたいです」と送信を押す。

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