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私のこと①

 自分は選ばれた人間だと思っていた。

 何十万人にひとりの難病を背負って生まれた。両親からは「かわいそうに」「ごめんね」、看護師さんからは「頑張り屋さんだね」と言われながら育った。院内学級にもお世話になったし、同年代の子よりはかなり痛みに強かった。強くならざるを得なかった。採血され過ぎて関節が黒ずみ、当然の如く運動会には出られなかった。学校も手術のために何ヶ月も休んだものだ。でも、そんな自分が実は嫌いじゃなかった。

 「かわいそうね」は私にとっていつしか褒め言葉になった。かわいそうな私は、他の子とは違うと思った。その特別感に酔っていた。手術が困難であれば困難であるほど私は「かわいそう」になって特別になった。「かわいそう」だから私は大切にされて、「かわいそう」じゃない私はきっと大切にされないのだと思った。

 「かわいそう」に生まれて良かったと思った。

 この体で生まれて良かったと思ったけど、術後は辛いし痛いし気持ち悪いしこんな思いをするくらいなら死んだ方がマシだった。術後の経過が悪く、その日に飲めるはずだったカルピスが飲めなかった時の絶望を私は今でも覚えている。死にたいとは今も思うが、初めて他者に漏らした「死にたい」は小2の術後で、あの時言った「死にたい」ほど、本当の死にたいは今のところない。

 何十万人に一人の難病なんていうくじこそ引き当てたくせに、私は誰からも選ばれなかった。残ったのは毎年の病院通いと数年に一度の手術。全身麻酔の直前は大人になっても泣きそうになる。むしろ大人になってからの方が怖い。起きたら待ち受けるのは痛みだけだからだ。23の女を誰ももう「かわいそう」なんて哀れんでくれない。「かわいそう」じゃない私は大切にされない。

 じゃあこんなの痛いだけだ。

 そんなくじなら引きたくなかった。お腹に真一文字に入ったグロい手術痕も、あの頃は特別な自分の証明のようで誇らしかったけど、今になって見れば女の子の体にこんなものない方がいいに決まっている。一生着られないビキニも、モデルの子が見せる白いお腹も、なにもかも、どうして私には許されなかったんだろう。


 親を恨むとかそういうことは一切ないけど、ただ、なんで私だったんだろうとは時々思う。今後、誰かを好きになって、この体を見せる時、きっとこのことを説明しなきゃいけなくて、それはやっぱり嫌だなと思う。女の子の体は綺麗なものだという幻想を崩してしまうようなそれは、仮に相手が「いいよ」と笑っても、きっとどこかで嫌だと思っているような気がして。

 そんなふうに小学校時代を経て、なかなか楽しい中学時代を過ごし、自尊心をぶっつぶされる高校時代に入った。肉体的辛さが終わったと思えば次は精神的辛さである。この話はまたいつか、次回。

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