見出し画像

幸せ以上の幸せを望みながら

 好きな人から「好きだからね」と言われて嬉しかった。「私も好きです」と言いながら相手の手を握った。酔ってた。しかもだいぶ。酔ってたのに恋人繋ぎができなかったのは、『ダメだ』って死んだ脳味噌の生きてるどっかが言ったからだと思う。恋人繋ぎに特別な意味を持たせてしまうの、きっと恋愛経験が不足しきっているからだろうな。

 ボキャブラリー難民なので、「嬉しかったこと」を「嬉しかった」としか表現できないことが悔しいくらい嬉しかった。酔ってたけど。『好き』って言葉が出るんだから嫌われてはいないと思っていいと思う。ただその『好き』が恋愛感情の好きではないことを私は知ってる。娘みたいにかわいい、好き、そういう好きだ。父性愛に近い。

 すごく幸せなことなのに、それ以上の『愛されたい』を願うのは我儘だよなぁ、と思う。いつの間にこんなに我儘になってしまったんだろう。どこか、ぽっかり穴が空いたように満たされない。欠落した愛情をいまだに求めてしまう。幸せ以上の幸せが欲しい。

 手を、繋ぎたい。恋人同士だけが許される繋ぎ方で。抱きしめられたい。1番になりたい。なんて。そんなことを望んでしまう。ここまで考えて、ふと自分はとんでもないクレクレちゃんな気がしてならなくなる。なんで私こんなに求めることばかり書いているんだろう。私は、彼に何を与えてきたんだろう。と、ふと思う。求めるばかりで、愛されたい、と思うばかりで、それってあまりにも自己中心的だ。あなたのことで頭がいっぱいだと思っていたけど、本当は自分のことで頭がいっぱいなんじゃないか私。

 今の幸せ以上の幸せを望みながら、私は自分の幸せしか考えられていないんじゃないかと思う。あなたの幸せを考えていたいのに、私はまだ幼いから自分の幸せを考えるばかりだ。誰かの幸せを私、本当に願ったことあるのかな。幸せになっても、「幸せになりたい」とまだ願う。際限がない。どこまでもどこまでも求めるばかりでは幸せになれない。幸せを追いかけている時は幸せになれないのだ。なんだか矛盾しているみたいだけど。

 この前お菓子をあなたにあげた。本当は買ってきたお菓子だったけど、恥ずかしさと気を遣わせたくない気持ちで「たくさん頂いたので」って嘘をついて。「これ美味しいよね」って言いながら受け取って、そのお菓子を美味しそうに食べるあなたを見て、あなたが幸せなら、まぁ私それでいいや、と思った。

 あなたが幸せならいいよ、できれば、あなたが幸せになった理由が私にあるなら、私、それが一番幸せだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?