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あたしの名前を当ててごらん

ときどきクリーニング店を利用する。

近所にチェーン店のクリーニング屋と、個人店のクリーニング屋がある。

ころもがえ時期の服の量が多く出るときは割安なチェーン店を利用するが、本当はできれば利用したくない。

店長と思われる初老のご婦人がめちゃくちゃ怖いのである。いつも怖いならこちらも心の準備ができようが、日によってごきげんの上下があるところがなお怖い。ごきげんがよければよいで怖い。昔は美貌だったろうな、という顔立ちも逆に怖い。白いはちまきとなぎなた、千人針を持たせたら似合いそうで、クリーニングを出しに行く3日ぐらい前からもう怖い。

そんなわけで、臨時で出す1枚2枚のクリーニングは個人店のほうを利用する。

個人店(仮にサンキュークリーニングとする)のほうはふさふさの白髪頭のおじいさんに近いおじさんが店主だ。職人ぽく口数は少ないが精神が安定していて(わかんないけど)淡々と対応してくれる。

しかし、何度か行くうちにちょっとした変化が現れた。

店主が私の名前を当てにくるのである。

チェーン店には会員カードがあるがサンキュークリーニングにはない。その都度、私が名前を言って店主のおじさんが預かり証を書いてくれる。毎回「はいお名前は」「佐藤です」というやりとりから始まっていたがある時彼が私の顔をじっと見て「・・・吉田さんでしたっけ」と言った。

「いえ、佐藤です」

「ごめんなさいね。佐藤さんね」

そうかそうかと薄く笑いながら預かり証に名前を記入してくれる。2か月に一度くらいしか行かないが、常連と認識されたのかもしれない。顔はなんとなくわかるけど名前がうろ覚えの状態。でも常連さんだから名前を記憶していなかったら失礼だという気持ちがそうさせたのだろう。また1か月ほどして行くと、

「・・・木下さん?」

と言われた。また佐藤ですと訂正すると「ああ、すいませんね。佐藤さん、そうかそうか」と薄く笑いながら預かり証を書いている。

私が店に入るなりさっさと名乗ればこの問題は解決するだろう。またはおじさんがあきらめて前みたいに名前を聞いてくれればいいのだが、顔を見て当てようとするからならこっちも当ててもらおうかという気になる。

今日は木下っぽい顔だったかしら、と帰る道すがら月を見ながら回想する。

次に行くとき私はどんな態度をとるのが正解だろうか。怖いおばさんがいるクリーニング店とは違う意味で緊張する。

━━いいことを思いついた。

店主のおじさんの言いなりになればいいのだ。

おじさんが「吉田さん?」と言ってきたら「吉田です」と。「木下さん?」と言ってきたら「木下です」と。それでとくに問題はない。なんだかちょっとわくわくしてきた。どこでも聞いたことのない、ペンネームでも芸名でもない私だけのクリーニングネーム。あの小さなクリーニング店の受付スペースでの私とおじさんの名前当て宇宙。

次回私は小林になるだろうか、それとも綾小路になるだろうか。もしかしたらついに佐藤と覚えられてしまうだろうか。

それはサンキュークリーニングのおじさんにしかわからないのである。私の名前のゆくえはおじさんが握っているのだ。

おしまい。

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