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つまり、佐藤の本棚。

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今まで読んできた本にまつわる「記憶」の記録です。
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2018年4月の記事一覧

読書の記憶 七十一冊目【中原中也 月夜の浜辺】

私はあまり物を処分する方ではない。一度手に入れたもの、いただいたものは使わなくなっても整理して保管しておくほうである。普段はそれでも特に問題はない。しかし、引っ越しの時などは「どれを処分し、どれを保管しようか」と、しばらく悩むことになる。 引っ越しは「量」で料金が決まるから、捨てられないものが増えれば増えるほど料金がかかってしまう。追加費用をかけてまでも、運ぶ価値があるものなのか? と自問自答しつつも結局処分できずに段ボールが増えていく。 つづきを読む(無料)→ 七十一冊

読書の記憶 七十冊目「雨の上高地 寺田寅彦」

「はじめて来たのに、なぜか懐かしい風景」などというと、観光案内のキャッチコピーみたいだけれども、僕にもそのような気分になった風景がいくつかある。 その一つが長野県の上高地である。大正池でバスを降り、ポクポクと足音を鳴らしながら木道を歩いていく。やがて視界が開け目の前に広がる河原へと降り、しゃがんで梓川の水に手を浸した時、僕の頭の中に浮かんだ言葉は「また、ここに来たぞ!」だった。 つづきを読む(無料)読書の記憶 七十冊目「雨の上高地 寺田寅彦」 佐藤のtwitter↓

読書の記憶 六十九冊目「はじめてのおつかい 林明子」

小学1年生の時の話。いやもしかしたら幼稚園の時だったかもしれない。記憶が曖昧だけれども、たぶん小学1年生の時の話だったと思う。母親から、肉屋に買い物へ行くように頼まれた。まさに「はじめてのおつかい」というやつである。 母親は僕に「今日はカレーを作るから、お肉を買ってきて」と説明したあと「牛肉のカタロース300グラムください」という台詞を覚えさせた。僕は、それを何度も繰り返しながら、一人で歩いて近所の肉屋に向かった。 つづきを読む(無料)読書の記憶 六十九冊目「はじめてのお

読書の記憶 六十八冊目「漱石先生臨終記 内田百間」

前回、私が進学塾の先生をしていた、ということを書いた。書き終えてから、あらためてその当時のことを思い返してみると、授業していた時の事よりも生徒と雑談をしていた記憶の方が多いことに気がついた。 授業が終わると、たいてい何名かの生徒が私の机の横に来て何やかやと話をしていった。わからないところを質問に来る生徒もいないわけではなかったけれども、ほとんどの生徒が意味のないような雑談をして帰っていくのだった。 続きを読む(無料)「漱石先生臨終記 内田百間」

読書の記憶 六十七冊目「夏目漱石先生の追憶 寺田寅彦」

大学を卒業してから初めてついた職業が「進学塾の先生」だった。碌に研修も指導も受けずに教壇に立たされ、生徒の前で授業をしたのだった。特に教師の仕事がしたかった、と言うわけでもない。教育の仕事に興味があったというわけでもない。そもそも自分が何かを教えるとか、先生として生徒の前に立つということに相応しい人間であるようにも思えなかった。 それでも気がつくと、長いこと教育の仕事を続けてきた。単純に考えて数百人以上の生徒の前に立ち、数千時間ほど授業をしてきたと思う。たぶん、なんだかんだ