大学受験、ジストニア発病

大学受験では、東大を受けようと思い勉強していた。

教養学部で文理問わず幅広く学びたかったこと、専攻の選択肢が広いこと、研究環境が良さそうなことなどが理由だった。

しかし、直前期になって、身近な大人に猛反対された。理由を聞くと、「学歴に拘っているんだろう」、「そうやって人を見下したいのか」などと言われて驚愕した

そんな話ではないと必死に説明したが、全く聞く耳を持ってもらえなかった。ひたすら支離滅裂なことを怒鳴り散らしていた。

完全に想定外の展開だった。数年に及ぶ努力は何だったのか。

高3の10月頃で、時期も時期であったこともあり、パニックになり、筆記に障害が出るようになった。

今でも納得はいっていないし、後悔も残っている。志望校に行けなかったことが理由ではない。

純粋な気持ちが、偏見によって阻害されたことが腹立たしかった。

こっちは、社会的な評価などはどうでも良い。他人との比較ではない。しかし、全く理解されなかった。

ただ、意外と世の中の多数派はそんなものなのだと気が付いてきた。

評価軸を自分の中に持たず、「世間体が全て」のような人は少なくない。

面子を保つことに過剰な注意を払い、自分の人生を生きていない。そんな印象を抱く。

社会的に生きていくためには、ある程度「世間」と折り合いを付ける必要も出てくる。それはわかる。

しかし、完全に取り込まれてしまうのも良くないだろうと思う。自分の中の純粋な部分を守りながら生きていきたい。

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