見出し画像

『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』Original Directors ratioの謎 〜未来の上映者のために語り継ぐべき事件簿②〜

一山越えて、もう安心だと気を緩めたその時が一番あぶないとはよく言ったものだ。この言葉、誰が言ったか知らないのだが、最初に言った人はかなり偉い。偉いというか、大変だったんだろうなあ、と思う。

自主映画配給において、一山越えの瞬間とはいつ・何処のことを指すのだろう。人によっては権利元と連絡がついた瞬間かもしれないし、契約書を取り交わした瞬間がそのときだと言う人もいるかもしれない。はたまた金銭のやり取りがなされて初めて一山越えたと考える人もいるだろう。
それらも重要な瞬間であることには違いないが、私が思う一山越えの瞬間とは、上映素材が手元に届いたそのときである。

なぜなら権利元と連絡が取れ、契約書にサインをし、権利料を支払っても、上映素材が届かなければどうにもならないからだ。
素材がなければこちらの力ではどうしようもできない。しかし素材が手に入りさえすれば、どんな困難が待ち受けようとも、自分たちが力を尽くし、時間をかけて、持ちうる限りの金力を投入すれば最終的にはどうとでもなる。上映素材到着という山を越えれば、あとはどう転んだって大丈夫というわけだ。
つまり相手の出方によって結果が左右されず、自力で打破できる状況を得る瞬間が、上映素材を手に入れたその時なのである。

さて、今回問題となる2/20〜23まで限定配信するアンドレア・アーノルド監督の『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』も、そうした険しい山道を一歩一歩踏破し、ついに上映素材のリンクが送られてきた。そうしてまんまと油断した、というお話というのが『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』Original Directors ratioの謎である。それでは書いていきましょう。

山めし効果の罠

上映素材の“リンク”が送られてきた、とわざわざ書いたのは、我々の場合、上映素材はProResという形式のファイルでもらうことが多いからである。外付けHDDに保存してもらい、外付けHDDごと送ってもらうという選択もありなのだが、そうなると外付けHDD代と国際送料がかかってしまう。そしてなにより時間がかかる。
だから大体はオンライン上のデータ転送サービスで送ってもらうのだが、いかんせん容量が100~300GB以上あるので、途中で回線が切れたり、2日間ダウンロードし続けても終わらなかったりもする。だから結局時間がかかる。

疲弊しきった登山者の足取りのような我が家の超低速回線に辛抱強く耐え続けた末に、ようやく私たち自主配給者は一山越える。実際はMacがダウンロードを完了するまでただ待っていただけだが。ありがとうMacとソフトバンク光。

さて、手に入れた素材を早速字幕者へ渡し(字幕付け用に容量を軽くしたりします)、ときを経て字幕ファイルが送られてくる。そして字幕を本編に貼り付け、チェックする。
世界で初めて日本語字幕がついた『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』である。この瞬間は格別で何事にも変え難い。いま日本語字幕付きで『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』を楽しむことができるのは、世界で自主配給者の自分だけなのだ。

「いや〜やっぱり自分で配給するとなると、なんだか一味違いますなあ」

思わずあなたはそう口にしてしまうだろう。わたしもたぶん言ったはずだ。ところで、いつものおにぎりが山頂で食べるとなんだか妙に美味しく感じた、なんて経験はないだろうか。ひとまず、この効果を「山めし効果」と仮に名付けよう。実はここで起こっていることはまさにそれである。「山めし効果」は『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』にも発揮されたというわけなのだ。

いきなり少し意味がわからなくなったと思う。

しかし重要なのは、このとき『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』をみて、今までみた『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』ではないと私は感じた。けれどもそれは、「山めし効果」の結果であると考えしまった、ということだ。
本当はここで気づかなければならなかった。この『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』が本当に違うのだということに。ただし、私はまだ気づかない。
山は人の舌と視覚を狂わせるのだ。

そういえばこの映画スタンダードじゃなかったっけ?

では、具体的に見ていこう。当時、私が見ていた『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』の一場面は↓である。

スクリーンショット 2021-02-18 17.11.55

なにが問題かお分かりだろうか。
本記事のタイトルからお察しの方も多いだろうが、そう、問題は「ratio」=つまり画面サイズなのだ。
映画には、ヴィスタサイズやスタンダード、そしてシネマスコープサイズと呼ばれるフレーム=枠の比率が存在する。
しかも同じスタンダードサイズやヴィスタサイズと呼ばれていても、細かい比率は複数あったりするうえに、映し出される媒体によって(映画館やVHS・ブルーレイなどといったパッケージ、テレビ放映に、配信等々)、ときにそのフレーム自体が変化する、いわゆるトリミング版というものが存在したりもする。この画面サイズの話は探っていくと極めて複雑だから、まあそういうものがあるらしいと思ってもらえればいい。

安心しきっていた私は当初、上映素材として手に入れた『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』の画面サイズがおかいしことにまったく気づかずに、「なんだか一味違うなあ」と思った自分の感覚を山めし効果だと錯覚していた。本当に情けない。
「あれ、この画面サイズ、大丈夫か?」と思ったのは、字幕付け作業もそろそろ終局を迎える頃のことだ。ふと「そういえばこの映画スタンダードじゃなかったっけ?」と気づいたのだ。

早速IMDBを調べてみると1.37 : 1と表記されている。

これはいわゆるスタンダードサイズという形で正方形に近いフレームだ。明らかに、権利元からもらったものとは違う比率である。ただし、IMDBもしばしば間違いはある。
「そうだ、手元にある海外版Blu-rayを再生して確認してみよう」
そうして私の前にあわられた画面が↓だ。

ブルーレイ

四角い。間違いなくスタンダードサイズだ。
前の写真の場面とは若干コマのずれがあるが、違いは明白だろう。例えば「馬の手綱」が上映素材の画面に映っていない。つまり権利元からもらった映像は画面全体を横長にするために、画面の上下がトリミングされている形なのだ。いわゆる16:9のワイドサイズなんて呼ばれるフレームサイズであるのだが、本来撮影されているものよりもだいぶ狭く、情報量が削減されているのだから、これは大きな問題だ。

疑惑のスクリーンショット

もちろんすぐに権利元に連絡である。

「もらった素材はトリミングされているようです。本来の画面サイズは1.37 : 1(4:3)ではないですか? 正しい画面サイズの映像をください」

すると先方からこう返信があった。

we do have Feature video masters with aspect ratio of 4x3 in 1.85:1 frame which is the Theatrical Release Ratio & 4x3 PB 1.77:1 (Original Director's ratio)

「Theatrical Release RatioとOriginal Director's ratioがあるけど、どちらにする?」と返事をくれた。なんだそれは。あと、まずなんでトリミング版を送ったのか教えてくれ。
でも大丈夫。Theatrical Release RatioとOriginal Director's ratioがどのようなものがわかるようにスクリーンショットを送ってくれた。
それが以下の画像である。

画像3

画像4

これが自主配給者を悩ませた疑惑のスクリーンショットだ。私はOriginal Directors ratioの謎と呼んでいる。
まあ、両者の違いには目を瞑ろう。全体を 1.85:1におさめているか、1.77:1 に収めているかで上下の微妙な黒味が発生している模様だが、些細な問題だ。いや些細じゃないかもしれないが、私を悩ませたのはそこではない。
パッと見ただけだとわからないかもしれないが、映像部分がとても四角であることがわかるだろうか。先程アップした海外版Blu-rayよりもとても四角である。

ブルーレイ

↑これがBlu-rayの画面サイズ。

画像7

↑これがOriginal Directors ratio。

とても四角い。どちらも四角いが、Original Directors ratioのほうがより四角い。より四角いというか正方形に近い。しかも凝視しすぎると目の錯覚なのか、一方が細く見えたり、他方が太くなって見えたりもしてきて大混乱である。

画像5

実際に測ってみたりもした。

すると結果はOriginal Directors ratioの比率は概ね、1.19:1。サイレント時代の映画のような画面サイズである。
この画面サイズ、実は最近では『The Lighthouse』で採用されている。1.19:1サイズできちんと上映できる劇場でしか上映しないという縛りから日本では『The Lighthouse』の公開がスルーされているという噂は映画ファンならば聞いたことがあるかもしれないが、つまり、わざわざ現代でこの画面サイズを選択するのは凝りにこりまくっている感じなのである。
さすがはOriginal Directors ratioだ。オリジナルだし、ディレクターズ版はやっぱり一味違うのだ。

これはちょっとすごいかもしれないと思った。
なぜならBlu-rayや配信(アメリカのiTunesで配信されている映像も調べてみたが、画面サイズはブルーレイ版と同じであった)では見ることができない、ということは現在この特別なサイズで見られるのは日本だけかもしれないからだ。
だから細かい不満は押し殺して「Theatrical Release RatioとOriginal Director's ratioがあるけどどちらがいい?」という相手の質問に我々は当然こう返答した。

We would like to choose Original Director's ratio.(オリジナル監督の比率を選びたいと思います。)

ありすぎる画面サイズ

しかし、かなり珍しい画面サイズではあるので(向こうはメールでは4×3と書いてはいたが)、ここは詳しい比率を聞いておいたほうがよいと思い、こう付け加えた。

Incidentally, do you know the precise aspect ratio of the above?(ちなみに、上記の正確なアスペクト比をご存知でしょうか?)

非常に冷静な判断であると今でも思う。だって、直接定規を当てて割り出した比率はなんか嫌だろう。権利元から正確な比率を教えてもらい、大いに「今回の『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』は特別だ」と言いたいじゃないか。

それに対する権利元からの返答だ。

The aspect ratio is 4:3 1.33.1.(アスペクト比は4:3 1.33.1。)

それはないだろ。
4:3(1.33:1)ではない絶対にない。それだけは私にはわかる。なぜなら私は直接定規を当てて測ったからだ。。あとせめて1.37:1だ。とIMDBの表記と合わせて欲しかった。
向こうはこちらが直接定規を当てて測ってないとでも思っているのだろうか? でもなぜ誤った情報を教える必要が?
謎は深まるばかりである。
いまのところ、16:9(最初にもらった映像)と1.37:1(IMDBの表記のもの)と、1.33:1(権利元が言い張るもの)と1.19:1(定規で測ったもの)とTheatrical Release Ratio(1.19:1だが全体が1.85:1のもの)と全部で5種類の画面サイズが存在しているが大丈夫なのか。そちらも把握できてるか。もしかしたらそちらもわけがわからなくなっているのではないか。

しかし、ここで変に突っ込むと話がこじれると思った我々は「そうですかあ!」と少し狂気を感じさせるくらいの返事をしてやりすごした。

そうしてまた素材が送られてきた。長かった。これでようやく本当に一山越えたのだ。Original Director's ratio版だ。早速中身を見た。

4:3だった。

Blu-rayと同じじゃないか。メールに添付されたあの場面写はなんだったんだ。
ちなみにBlu-rayのジャケット裏面の表記は「4:3(DIRECTOR'S APPROVED RATIO)」となっている。

画像8

もうよくわからない。
ただ間違いないことは、今回配信するバージョンはOriginal Director's ratio版であり、さまざまな視聴形態によって、微妙に映像には差異があるということだ。そしてそこに正しさや間違いも基本的にはない。

実はアンドレア・アーノルド監督はこの4:3の画面サイズをよく採用している。しかし、この4:3の画面サイズは、少し古臭く見えもするようで、IMDBの『アメリカン・ハニー』ページのQ&Aではなかなかの言われようである。

Why is this movie in 1.37:1 (4:3)? Isn't that dated? (なぜこの映画は1.37:1(4:3)なの?時代遅れじゃない?)


はてさて、アンドレア・アーノルド監督の4:3の画面が時代遅れかどうかは、ぜひ実際に映画を見て確かめてほしいと思います。

ということで、これが今回の 『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』Original Directors ratioの謎のあらましだ。ほとんど何が起こっていたのかわからないが、基本的にはありのままを書き記したつもりである。
自分の書いた内容をいま振り返ると、わざわざnoteに書くようなことじゃなかった。なんなんだ「山めし効果」とは。
しかし、まあ無理矢理言えば、この謎からの導き出される教訓は以下になる。

油断するな

みなさまも気をつけましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?