空襲の記憶⑤

[4]

  平成18年(2006年)、夏。

安原愛  「それで、おじさん。もう一度話を聞きに来たの?
     それとも、もう懲り懲りだった?」

  昭和51年(1976年)、夏。
  生徒四人、下駄箱の前で靴に履き替えている。

吉人   「いやあ、すごい物見ちゃったなあ。」
美奈   「ウチに帰ってから話したら、親がびっくりしそう。焼夷弾
     だなんて。」
町子   智史に「聞きたいことがあったらまたどうぞ、だって。どう
     する?」
吉人   「だけど、うっかり古傷に触るようなこと訊いちゃ駄目だろ。」美奈   「安原君なら、やりそう。」
智史   「そんなこといっても、訊いていいことは何で、訊いちゃいけ
     ないことは何かわからないじゃないか。スミキチはわかるの
     か?」
吉人   「う~ん、わからん。」
美奈   「もう、いいじゃない。この前聞いた話をまとめて、仕上げよう
     よ。」

  四人、出口に向かって歩き出す。

町子   「いいの?」
智史   「もう一度来なさいって言われてるような気がするなあ。」
町子   「そうだね。」
智史   「まだ話したいことがあるってことかな。」
町子   「興味があるんでしょ。行く?」
智史   ドキッとして、「お、おお……」
吉人   「それじゃ、日にちを──」
美奈   吉人の袖を引っ張りながら小声で「ちょっと、スミキチ。」
     大きな声で「私は行かない。町子、二人で行っておいでよ。」
町子   「ええー。みんなで行こうよ。」
美奈   (せっかく気を聞かせてあげたのに)「しょうがないなあ。」

  平成18年(2006年)、夏。

安原智史 「南先生から連絡を取ってもらったら、もう少しだけお話したい
     から八月十五日に来て欲しいと返事があった。」
安原愛  「八月十五日──終戦記念日ね。わざとその日に?」

内田よし恵「話すならその日にと思っていたんでしょうね。だって──」


  昭和51年(1976年)八月十五日、終戦記念日。
  再び内田家の八畳間。智史たち四人とかず恵が、よし恵を待っている。
  よし恵はグラスに麦茶を注いでいる。
  四人はドキドキしていて、ひそひそ話をしている。
智史   (やっぱり、やめときゃよかったかな。)
吉人   (またどうぞって言ってくれたんだから、大丈夫だろ。)
かず恵  麦茶を配りながら、「みんな、緊張しなくてもだいじょうぶだっ
     て。」
智史   「ハ、ハイ」

  よし恵がやって来る。
  四人、恐る恐る見上げるが、よし恵のにこやかな顔を見てホッとする。

よし恵  「みなさん、来てくださってありがとう。今日は静かにお話する
     わね。
     焼夷弾を見て、とても驚いたんですって?」
智史   「本物、初めて見たので。みんな、爆発すると思って大騒ぎしま
     した。」
吉人   「それは安原君が変なことを言ったからです。」
美奈   「そうよ。爆発しませんか?なんて言うから──」
かず恵  「あははは……。」と笑うが、よし恵の顔を見て真面目な顔を
     つくる。
よし恵  「伊佐治さんは、とっさに投げ捨てようとしたんですって? 
     爆発するかも知れないものを乱暴に扱ったら、かえって危険よ。
     気持ちはわかるけど。」
町子   「はい。」
  かず恵と美奈がいたずらっぽく目で語り合う。
かず恵  (気持ちはわかるですって。)
美奈   (どこまでご存知でしょう?)
よし恵  「さて、今日は私や同級生が見てきたものを、順を追ってお話し
     たいと思います。当時の世相や事件とあわせてね。」
かず恵  「先生。」
よし恵  「はい、かず恵さん。」
かず恵  「ノートはどのようにとると、いいでしょうか?」
よし恵  「私だったらページの真ん中に縦線を引くわ。左に歴史上の事件
     を書いて、右に私が見たことや感じたことを書くの。」
  中学生たち、ノートに縦線を引く。
よし恵  「みんな、いい? 私が昭和七年生まれだから、この年から始め
     ましょう。」

ナレーション 「よし恵が生まれた昭和七年(一九三二年)、満州への移民が始まり、犬養毅首相が暗殺された五・一五事件が起きている。
昭和十一年(一九三六年)には二・二六事件。その後、日本が戦争へ突き進んだことは周知のとおりである。
こうした事件が起きた一方で文化・スポーツでも大きな出来事がつづいた。二・二六事件と同じ昭和十一年二月、日本プロ野球初の公式試合が行われ、同年八月にはベルリンオリンピックで前畑選手が大活躍。実況中継の「がんばれ前畑!」が後々まで語り伝えられることになる。」

吉人  「軍隊の反乱と「がんばれ前畑!」が同じ年だったのか。」
よし恵  「激動の時代だったのよ。」
かず恵  「軍隊の反乱だなんて、世間は大騒ぎだったんでしょうね。」
よし恵  「東京はそうだったかも知れないわね。」
かず恵  「え?」
よし恵  「当時私は四歳だったけど、まわりの大人はいつもと同じに見え
     たし、反乱とかクーデーターなんて言葉は聞かなかったわ。」
一同   「ええ~!?」
よし恵  「今と違ってニュースが伝わりにくかったのね。もしも事件が
     すぐに全国に報道されていたら、その後の日本は全然違っていた
     かも知れないわね。」

ナレーション 「つづく昭和十二年は『暗夜行路』『雪国』『宮本武蔵』などの小説が登場した年でもあり、日中戦争が始まった年でもある。
そして、国民は戦争に協力するための生活を強いられてゆく……。」

  よし恵がいろいろ話し、生徒たちがノートを取ったり、かず恵や生徒が
  なにかを尋ねる様子。
  よし恵、生徒たちがノートを取り終わったのを見て、ためらいながら
  話し始める。
よし恵  「みなさん、その後のことを少しだけお話して終わりにします。心の準備をしてください。」
  四人とかず恵が緊張する。
よし恵  「昭和十九年の春、私は女学校に上がりましたが、秋には学徒
     動員で軍需工場で働くようになりました。
     そして昭和二十年、その工場で空襲に遭いました。まわりは血ま
     みれの死体でいっぱいになり、バラバラになった手足が散らばっ
     ていました。私は工場の人に手を引かれ、死体を踏みつけながら
     逃げました。その間も爆弾が落ちてきて、目の前で何人も何人も
     死にました。安全な場所にたどりついたとき、私たちの着ている
     服は血だらけになっていました。
     以上です。質問はしないでね。」

  よし恵、無理に笑顔をつくっている。
  生徒四人もかず恵も言葉を失くし、風鈴の音だけが響いている。


<お断り>
この回の最後で内田よし恵が話した体験談は、数年前に読んだ熱田空襲の体験談をもとにしています。ですからこの部分だけは“創作”ではありません。ものすごく簡単に書きましたが、こういうことが実際にあったそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?