イエスとロバの物語
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イエスとロバの物語
文 さとし
絵 みく
子ロバのサンには 夢がありました。
いつの日か ご主人様に 認められ
自分の背中に ご主人様を
乗せて 走ること
しかし サンの夢は叶いそうにありません
なぜなら サンはロバだから
ロバの背中に乗るのは 人ではなく
重い荷物だと
サンのお母さんは言っていました
とはいえ 一生懸命に頑張っていれば
いつの日か ご主人様に認めてもらえる
サンは そう信じて
今日も そして明日も
重い荷物を運び続けます
ある日のこと サンの住む町で
大きなお祭りが開かれました
太鼓とふえの 賑やかな音色が
サンのこころを くすぐります
ご主人様に連れられて
このお祭りに 参加することを
サンは とてもとても
楽しみにしていました
ところが ご主人様は
サンに声をかけることなく
お気に入りの馬に乗り
お祭りへと出掛けてしまいました
サンは大声で泣きました
お祭りの太鼓と 笛のおとが
サンのこころに悲しく響きます
サンは涙が枯れるまで泣きました
その時 見知らぬ2人の男の人が
サンの住む家に尋ねてきました
2人の男の人は
サンを指差して 家の管理人と
なにやら 話をしています
「このロバをかしてください」
家の管理人は 男の人たちに
サンの手綱を渡して言いました
「どうぞご自由に
連れて行ってもかまいません」
サンは管理人の言葉に
深く傷つきました
「いままで 一生懸命に働いてきたのに
あっさりと手放されるなんて」
次から次へとおこる 悲しい出来事に
サンの心は耐えられそうにありません
そうして ふたりの男の人に
サンは連れられて行きました
しばらく歩くと
ひとりの男の人が
サンの前に現れました
真昼の太陽の暖かさのような声で
その人は言いました
「よくきたね サン
わたしはきみを 待っていた」
「君に会えて とても嬉しいよ
なんてきれいな ひとみだろう」
サンのくびを抱きしめながら
男の人は言いました
サンのこころは
男の人の暖かなこころに
またたくまに 結び合わされていきました
男の人は言いました
「きょうから みやこで
祭りがあるのは知ってるね」
サンのこころに ふたたび影がかかりました
男の人はこう続けます
「わたしと共に お祭りに行こう
君の背中にわたしを乗せてほしい」
サンは驚きました
自分がロバであること
ひとを乗せたことはないこと
あなたに相応しいのは
立派な馬であること
どんなに説明しても
男の人は考えを変えません
「わたしは 君と共に行きたいのだ
君の背中に乗って」
サンは男の人の前にひざまづきました
生まれてはじめて
自分の背中に人を乗せます
不思議なことに 重いとは思いませんでした
都に近づくにつれ
ひとりまたひとりと 人々が
サンの周りに 集まってきました
サンの背中に乗っている
男の人を見た人々は
大声で叫びはじめます
「救いたまえダビデの子よ!
「主の名によって来られる方に
幸いあれ」
「ホサナ!ホサナ!」
都中が 喜びの歌声をあげ
人々は サンの足元に
衣とナツメヤシの枝を敷きはじめました
サンの鼓動はお祭りの太鼓のように
激しく脈打ちます
なんと サンの背中に乗っていた男の人は
救い主イエス・キリストだったのです
偉大な王の都 エルサレムで
イエスの名前を知らない者はいません
貧しい者によりそい
病人を癒し
罪人に明日への希望を与える方
彼こそがイスラエルを
苦しみから救い出すと
預言されていた方だと
多くの人が思っていました
そのイエスが 自分の背中に乗っている
サンの胸は 喜びでいっぱいになりました
地面を眺めながらうつむきあるく
いつもの自分は消え去り
輝く太陽の更に上を見上げて
サンは歩きました
自分の事をうらめしそうに見つめる
馬たちを尻目に
サンは救い主イエス・キリストを乗せて
エルサレムに入城しました
「ホサナ!救いたまえダビデの子よ!」
「祝福あれ!祝福あれ!」
太鼓と笛の旋律
そして人々の歓声が虹色の光となり
サンを包み込みました
それ以来サンはイエスたちと
行動を共にする事になりました
穏やかで慈しみにとみ
喜びにあふれた時間が
サンの渇いた心を
うるおしていきました
イエスとその弟子たちにとっても
サンの存在は
なくてはならないものとなりました
ところがイエスとの出会いから
わずか数日後
イエスの人気を妬ましく思う人たちが
嘘の罪状をでっちあげて
イエスを裁判所へと
連れて行ってしまいました
ひとびとに神の愛と
力を伝えていたイエスが
神の事を悪く言う者として
裁判にかけられることになったのです
イエスに嫉妬する者たちと
裁判官は気の合う仲間でした
そして イエス・キリストは十字架で
処刑されることになりました
サンは大声で泣き叫びました
「うそだ!みんなうそをついている!
こんなのまちがっている!
イエスはなにも 悪いことをしてない!」
どんなに叫ぼうとも
ロバの泣き声に耳を傾ける人はいません
サンの存在をはじめて愛してくれた方
ありのままの君が美しいと
言ってくれた方
誰よりも強く
誰よりも神に愛された方
救い主イエス・キリストは
トゲのついたムチで
全身を打たれました
あたまにはイバラの冠をかぶせられ
傷ついた背中に十字架を負いました
息ができないほどの人混みのなか
イエス・キリストは
処刑場へと引かれていきます
サンは必死で
人混みの中を走りました
「まって いかないで!」
大粒の涙がサンのほおを伝います
大群衆に押し返され
サンはイエスの近くまで
行く事ができません
そこでサンは
高いところを目指して走りました
息が切れて胸が痛くなってもかまいません
サンは全力で走りました
サンが小高い丘の上に立ったとき
遠くに歩くイエスの姿を
見る事ができました
すると突然 イエスが顔をあげて
まっすぐにこちらを見つめました
サンをみつめるイエスの瞳は
愛そのものでした
「泣かないでサン
君の瞳はこんなにも美しい
だから泣かないで」
イエスの姿がふたたび
人垣に消えていったとき
サンはその場に崩れ落ちました
その日 十字架の上で
神の子は その命を捧げました
そして 人々の涙とともに
イエスは墓に埋葬されました
イエスを失った痛みに耐える
弟子たちの横でサンはただ
空を見つめることしかできませんでした
「サン」と自分を呼ぶ優しい声を
もう一度聴きたい
しかし どんなに耳をすましても
なにも聴こえてきませんでした
イエスが亡くなってから
三日目の朝
まだ暗いうちに
サンはイエスの弟子だった女性たちと一緒に
イエスの墓に来ました
なんと墓の石は取り除けられてあり
墓の中にイエスの
身体はありません
イエスのからだが盗まれたのだろうかと
女性たちはうろたえ 泣き始めました
すると 涙を流す女性たちのあいだに
ひとりの男の人があらわれました
「せんせい」
女性のひとりが声をあげて
その男の人の足にすがりつきました
この出来事の素晴らしさを理解するまで
サンには すこし時間が必要でした
十字架での死から三日目に
イエス・キリストは よみがえったのです
「サン」
やさしく首を抱きしめる
イエスのあたたかさをサンは感じました
この方さえいれば ほかになんにもいらない
サンは そうおもいました
その後 死に打ち勝ったイエスは
40日間にわたり
ご自身が生きていることを
多くの人に示されました
それから
サンたちが見ている前で
天へと昇りました
天へ昇るまえ
イエスはご自分の弟子たちに
こう言い残しました
「全世界に出ていき
作られたもの全てに
福音を宣べ伝えなさい」
この言葉をイエスの弟子たちは
心に刻み込みました
イエスが天に昇られてから
サンは弟子たちと一緒に
福音を宣べ伝える旅にでました
それは奇跡と力強さと愛に満ちた
大いなる日々の始まりでした
サンはイエスの弟子たちの
荷物を背においました
イエスと出会う前に背負っていた荷物とは違い
その重さは苦痛にはなりませんでした
サンは荷物を背に
たくさんの川を渡りました
たくさんの丘を越え
いくつもの山を越え
家から家へと
町から町へと
病を癒し光を分かち合う
ひとびとは
サンたちが伝える
あいのメッセージを
よろこんで受け入れました
とはいえ ときには
サンとイエスの事を嫌う人から
いじわるされることもありました
時には間違いをして
怪我をしてしまうこともありました
でも 何度でも何度でも
サンは立ち上がりました
サンは歩き続けました
サンはもう子ロバではなく
おとなのロバになっていました
そして いくつもの春と
いくつものお祭りが過ぎたころ
夕焼けに染まった
美しい世界の片隅で
サンはゆっくりと
そのまぶたを閉じました
その美しい目が
ふたたび開く事はありませんでした
サンはその生涯を
イエスのために生き抜きました
だいすきな
だいすきな
イエスのために
気がつくと
サンは金色に輝く世界にいました
金色の花が咲き乱れる
美しい庭園
大きな宝石で彩られた
優雅な城壁
どこからか聴こえてくる美しい歌声
この世界の美しさに
サンはただただ
驚くばかりでした
何よりも驚いたのは
自分の姿でした
サンは荷物を運ぶロバではなく
白く輝く美しい
白馬の姿になっていました
「よくきたね サン」
後ろで懐かしい声がしました
ふりむくと そこには
おうかんをかぶった
イエスがいました
「わたしは きみにあうのを
楽しみにしていた」
サンは優しく微笑む
イエスのむねに顔をうずめました
おおきな おおきな
よろこびが サンを包みます
「きみのひとみは
なんて美しいのだろう」
サンの流す涙を
イエスは優しく拭いました
「君の背中に乗せてくれないか」
イエスを背中に乗せて
サンは風のように走り出しました
黄金の街道を走り抜けると
どこまでも続く
平原にたどりつきました
そこには おびただしい
騎兵の軍団が整列していました
「サン」
イエスが耳もとでささやきました
「わたしとともにいこう」
サンがうなずくと
イエスは天使の軍団に
大きな声で
号令を発しました
ラッパの音が鳴り響きます
サンは稲妻のような速さで
走り出しました
王の中の王
イエス・キリストを背中に乗せて
fin
この物語は聖書を題材に描かれた創作物語です
この物語の背景やイエス・キリストについて
さらに知るために是非聖書をご覧ください
マルコの福音書11章に子ロバが登場します
イエスとロバの物語を
読んでくれてありがとう
ここから先はおまけのページだよ
ページの下に書かれている
みことばも読んでみてね
まいにちが つらくて
つらくて たまらなくても
あきらめないで
きみのみらいは
きっとすばらしいみらい
エレミヤ29章11節
ながしたなみだは たからもの
なみだはかならず
かみさまのもとへ
とどくから
詩篇56編8節〜11節
ぎゅう〜
かみのこイエスは
きみをだきしめる
きみのことが
だいすきなんだ
イザヤ41章10節
たのしいこと
わくわくすること
かんどうすること
イエスといっしょにいると
まいにちがたのしい
詩篇16編11節
イエスはなにも
わるいことをしていない
でもきみをあいしているから
きみのかわりに
ばつをうけることにした
イザヤ53章全部
きみをまもるために
イエスはじゅうじかをせおった
第一ペテロ2章24節
イエスはじゅうじかのうえから
きみをあいしてくれた
ローマ5章8節
イエスはしんだけど
みっかめにふっかつした
第一コリント15章3、4節
イエスはてんにかえった
でもまたあうことができる
使徒1章8節〜11節
イエスのすばらしさを
みんなにもおしえてあげたい
きっとみんなも
イエスのことがすきになる
第一テモテ2章4節
だれかにいじわるされても
だいじょうぶ しんぱいしないで
イエスはきみのみかた
詩篇138編7節
イエスのためにいきること
それいじょうのいきかたは
どこにもみあたらない
ヨハネ12章24節〜26節
てんごくは
とてもとても
すてきなところ
黙示録22章1節〜5節
かみさまは
きみのなみだを
やさしくぬぐってくれる
黙示録21章3、4節
イエスといっしょにいる まいにちは
とてもとても たのしくて
わくわくして かんどうする
イザヤ61章10節
イエスはもういちど
ちじょうにもどってくる
せかいをへいわにするために
第一テサロニケ5章23節
イエスとロバの物語
完
Special thanks
天国にいるきみへ
また、いっしょにあそぼう
文 さとし
絵 みく
ここから先は
各ページの解説です
イエスとロバの物語は福音書のクライマックスを題材にした物語です。
ある日、友人と食事をしている時にイメージが現れました。そのイメージを言語化したり肉付けをしたりしているうちにひとつの素晴らしい物語が誕生しました。
この作品は僕のはじめての作品です。そして、この物語の1番のファンは僕自身です。
作品が仕上がるまで多くの困難にみまわれました。
それでも、多くの人の励ましや、完成版のイラストを担当してくれたみくとの出会い、必要な時に都度与えられる神様の助けに支えられて完成したことを嬉しく思います。
4年前に電子版と絵本版で制作済みのこの作品ですが、世界に大きく羽ばたく時が来ていることを感じています。
太陽と爽やかな風が似合う子ロバのサン。「太陽・子」の響きが込められた名前です。
イエス・キリストを信じる信仰によりクリスチャンは神の子とされる特権をいただきました。
クリスチャンひとりひとりが「サン」なのです。
僕たちの上に義の太陽が輝きます。
サンには夢があります。あの馬たちの様に、自分の背中にご主人様を乗せて走ること。ご主人様に認められたい信頼されたい。背中にご主人様を乗せて走ることができたら周りのみんなも自分のことをただのロバだとは思わなくなるはず。人に信頼されること世間に認めてもらうこと。父親に捨てられた経験のあるサンにとって、自分の存在価値はまわりの評価と連動しています。自分の価値を無条件で認めることができないのです。ぼくに価値がないから父は僕を捨てたんだ。サンの小さなこころには、大きな傷跡があるのです。
作者のさとし自身、母子家庭で育ったので、そんなサンの気持ちが痛いほどよくわかります。
産まれた環境と自分自身の姿に加え、身近な人の現実的な声がサンの夢の前に立ちはだかります。わかっているんだそんなこと、でも、、、。
誰がロバのあたりまえを決めたのさ。とにかく頑張ればきっといつか何とかなる。いつかきっと何とかなるんだから今日もなんとかなる。サンは一生懸命働きます。
過ぎ越しの祭りがはじまりました。昔、イスラエルがエジプトを脱出する際に、神の裁きがエジプトに及びました。最後の裁きの時に、神の言われたことを守り家の戸口に羊の血を塗った家は神の裁きを過ぎ越すことができました。サンの遠い先祖から伝わるこのお話をサンは何度も聴いて育ちました。
そろそろ、ご主人様に呼ばれるかな。サンのワクワクは頂点に達します。
サンのことを「みじめな子ロバ」といつも馬鹿にしてくる性格の悪い馬。その上にいるご主人様。ご主人様はサンに顔を向けることすらありませんでした。馬はサンを見て笑いました。
声をあげて泣くサン。いままでの頑張りを思いだせば出すほど涙があふれてとまりません。だから言ったのに、と母は思います。期待しなければ後悔することもないとサンの母は経験を通して知っているのです。
自分の努力でどうにかなるものではない。現実に打ちのめされて泣きつかれ地面にぺたんとなっているサン。このシーンのサンは作者のさとしが1番好きなサンです。かわいそうな感じがかわいいと言ってます。
そこに現れる2人の男の人。サンが辛くてたまらないとき、誰も慰めてくれる人がいないように思っているとき、目に見えないところでは既にサンの家に向かって2人の男の人が歩いていました。
暗闇の中、太陽がこちらに向かって来ています。
愛のないひと言。優しく繊細で美しい心に刺さります。
この子ロバは何でこんなに元気がないのだろう?具合が悪いのかな?他の元気なロバに変えた方が良いかな?弟子たちはかんがえています。このロバが主のお役に立つのだろうか。
大丈夫。このロバは主がご入り用のロバ。
無条件の愛と出会った時の事を覚えていますか?
彼は、名前で呼んでくれます。両手を広げて近づいてきます。どこまでも優しく、どこまでも暖かい声でサンの名前を呼びます。
とても高貴で清くて、それでいて近づきやすくあたたかい。サンの心が求めていた全てを遥かに超えた全ての全て。
この人はサンの瞳を褒めました。心を写す瞳を。この人の愛の中で心がどんどん綺麗になっていきます。そして瞳もどんどん澄んでいくのです。
圧倒的な恵みを素直に受け入れる難しさを感じるサンに優しく微笑む方。君が素敵だから、君が良いから、君が正しいから君に近づいたのではない。君を愛しているから君に近づいたのだよと語ります。
イエスと歩むと決めたなら、共に歩む強さでさえもイエスは備えてくださいます。全てが恵み、圧倒的な恵みです。
人びとが集まってきた時、サンは少し驚きました。逃げだそうかと思った時、耳もとで声がします。
「恐れないで、わたしが一緒にいるから」
シオンの娘よ、大いに喜べ、
エルサレムの娘よ、呼ばわれ。
見よ、あなたの王はあなたの所に来る。
彼は義なる者であって勝利を得、
柔和であって、ろばに乗る。
すなわち、ろばの子である子ろばに乗る。
ゼカリヤ9章9節
イエスと共に歩く道。祝福された栄光の道。
力と愛の人。柔和で強く正しい人。人びとを罪から救うために来られた真実の方。神の子イエス・キリスト。完全に人であり、完全に神である方。
太陽の光に照らされ暗闇は逃げ去ります。薄闇も朝の光の中で過去のものとなる。その太陽さえも創造された方。イエスから目を離さないでください。彼こそが全ての答えです。
本当の幸せがやってきた時、周りの評価もなにもかも気にならなくなります。幸せの真ん中にいるサンとサンを見つめる馬たち。馬たちには理解ができません、あのロバよりも自分の方が全てにおいて勝っているのになぜ?自分たちの方が正しいのになぜ?
イエス様は心の砕かれた者の近くにおられる方。謙遜な者を愛されます。
「わたしの虹」創世記の中で神様は虹のことを、わたしの虹と呼んでいます。昨今の世界的なムーブメントの象徴として利用されている虹ですが、虹は本来神様のものです。
全ての創造物は神の子たちの到来を待ち望んでいます。人間に本来与えられていた支配権がイエス・キリストを信じる信仰により回復されるとき、動物にも平和と安寧が訪れるのです。
イエスが捕らえられた時、弟子たちはイエスを見捨てて散り散りに逃げました。3年半、全身全霊で愛した弟子たちに見捨てられたのです。1番助けが必要な時に、彼はひとりになりました。
僕が個人的に感動するのは、イエスは、こうなる事さえも知っていて、それでも弟子たちを全身全霊で愛し育てたことです。
ひとめにつかない夜に強行採決されたイエスの裁判。当時の宗教指導者たちは、自らのうちに宿る妬みや嫉み、プライドを心の中で野放しにした結果、目の前に現れたイスラエルの神、救い主を認めようとせず排除しようとしました。自分の方が正しいという「正義」は罪の現れを呼びます。僕たちも自分自身の正しさではなくイエス様の正しさを誇る者であり続けたいですね。
左手にいる鶏は「ペテロの否定の後に鳴く」お仕事を前に緊張しています。
群衆がイエスのことを侮辱し十字架につけろと叫んでいます。サンには状況が理解できません、エルサレムに入場した時に「ホサナ!」と叫んでいた人たちが一転、イエスに対して憎しみをぶつける姿に混乱します。サンの目の前にいる人の外套にはヒズメの跡があります。それは、サンのヒズメの跡。一度脱いで救い主の前に投げ出した外套をもう一度着ているのです。
自己中心的で流されやすい群衆の罪をも背負うと決意したイエス様。あまりにも深い主の愛に心が震えます。
サンは大声で泣き叫びました。みんなどうしちゃったのさ、誰か、イエスを助けてよ、誰か!!
イエスと出会ったサンの心には「あんしん」が宿っていました。なにか良いことをしなくても、なにかを必死で頑張らなくても、「そのままの君が、ありのままの君が美しい」と言って受け入れてくれる存在。その愛に対する応答として、なにか良いことができる、頑張る気持ちが湧き上がる。
クリスチャンである僕たちも最初の愛から離れないようにしたいですね。僕たちが良い子だからイエスに愛されたのではなく、イエスが最初に愛してくださったから僕たちはイエスを知ったのです。愛と憐れみと恵みの中で、平安のうちにキリストの似姿へと変えられていきます。
こどもたちが見ることを考えて、鞭打ちのシーンは描いてません。
彼の打たれた打傷によって私たちは癒されたと聖書にあるとおり、僕たちの病は全てイエスが引き受けてくださいました。
こちらも同じく、傷ついた場面は描いてません。目を背けたくなる傷と痛みは、僕たちの罪の深さ、罪がもたらす痛みです。僕たちの罪は、神の子をこんなにも痛めつけ、十字架に釘付けにするほどに深いのです。
この場面は少し悩みました。イエスが担いだのは十字架の横木であったと言われているからです。ただ、その説も100%正しいかはわからないため、ここでは十字架を担いでいるように描くことにしています。
サンは全力で走りました。涙で視界が歪みます。地上から空気が消えたのかと思うくらいの息苦しさを感じます。必死で足を動かします。何回か転んだような気もしますがわかりません。とにかく必死で走りました。
丘の上には草木がありません。安らぎとは程遠い場所で立ち尽くすサン。
僕たちの悩み思い煩いを代わりに引き受けた方。イバラの棘は頭蓋骨にまで達していました。輝く冠をかぶるべき方が、イバラの冠をかぶっています。
大好きなイエスともう会えなくなる。サンは意識を失いました。
イエスはその命を捧げました。敵が命を奪っていったのではありません。自らの意思で捧げたのです。十字架の上で「完了した」と叫びました。罪の赦しは十字架で完全に完了したのです。十字架の恵みに何も付け加えてはいけません。
救いは人の良い行いでは決して辿り着くことができません。イエスを信じる信仰によって人は救われるのです。
ガラテヤ書でパウロが解説している事をよく読み理解してください。イエスの十字架に律法を接続しようとする人たちに気をつけてください。
【あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわれるべきである。わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわれるべきである。】ガラテヤ1章6〜9節 口語訳
【それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。】ガラテヤ2章4節
キリストによって得た自由を奪い、自分の影響力の配下に信者を縛ろうとする偽兄弟たちに警戒してください。彼らの舌は滑らかですが死をもたらす毒に満ちています。
恐れないでください。怯えないでください。神はキリスト・イエスにあってあなたの味方です。十字架の上で全て完了しました。呪いはあなたに及びません。
かつて神との親しさを感じて喜びのうちに生活していたものの、自分の失敗や他の何かが原因で神と離れてしまったように感じた経験はありますか?サンは十字架の意味がよく理解できていません。十字架の意味を理解できたとき茫然自失は無情の喜びへと変わります。
あなたが神様に非とされることはありません。あなたの罪の代価は全てイエスが代わりに支払いました。イエス・キリストにあって、僕たちは神の子です。
死よ、おまえの棘はどこにあるのか。イエスは復活しました。彼は永遠の命です。イエス・キリストを信じ新しく産まれた者の内に命の御霊がおられます。
人を慰めること、励ますこと、勇気を与えること。愛のうちにそれら全てを行う方が僕たちの神です!僕たちのイエス・キリストです!
彼に信頼する者が失望に終わることはありません!
まるで自分とは関係ない出来事かのように神の素晴らしさを眺めるサン。早く気づいて、これはあなたの物語。
イエスの温もり。イエスは蘇りました。胸の近くに鼓動が聞こえる場所にサンを引き寄せます。幻覚や幽霊ではありません。イエスは蘇ったのです!!
わたしたちの心は燃えたではないか。エマオへの道でイエスと出会った弟子は言いました。
聖書に記された神の計画がイエス・キリストにより実現した事を知る時、僕たちの心は燃えます。
大勢の人たちの前でイエスは天に昇りました。彼が再び戻ってくるとき、全世界がイエスを見ることになります。
福音は昔話や概念、スピリチュアル的な理念とは一線を画します。
福音は力を伴う現実であり、手で触れるほどに実感できる命の力です。
イエスの「ため」に担う荷物は苦痛ではありません。重さはあるかもしれませんが疲れることはありません。爽やかで心地の良いものです。
なぜなら、あなたはその荷物をイエスと「とも」に担っているからです。
神はあなたに活力を与えます。信仰者として必要なことの全てを神は既に用意しておられます。
この素晴らしさを理解できますか?
川向こうの新しい信仰の領域に入る時、勇気を出して信仰の中で一歩前に足を踏み出します。激しく流れる川の流れも信仰の前で穏やかな流れにかわり、丘は低くされ山々は身をかがめます。
かわいいハリネズミが1匹いることに気が付きましたか?彼の名前はチッチ。そう、絵本「ハリネズミのチッチ」の主人公です。
福音は造られたもの全てに宣べ伝えられます。
チッチのお話もこのnoteアカウントで公開中です。
僕たちはキリスト教を伝えるのではありません。キリストを伝えるのです。イエス・キリストのうちに命があります。イエス・キリストのうちに自由があります。福音を自分たちの組織を拡大するために利用してはいないか正直に自分に聞いてみてください。
この世界の「あたりまえ」では測れないイエスキリストの恵みと自由。イエスキリストの福音を伝えるものは時に「あたりまえ」から攻撃されます。
勇気を出してください。「あたりまえ」の遥か上にイエス・キリストの真理が燦然と輝いているのです。
失敗するたびに十字架の恵みに心を定め直してください。あなたはキリストの十字架により義とされています。大胆に恵みの御座に近づいて神の豊かさの中で回復してください。イエス・キリストの恵みと自由の中で平安のうちにキリストと似たものにされていきます。自力で大人になろうと努力することをやめて神を信頼してください。成長させてくださるのは神です。
夕暮れ。何を成し遂げたかではなく、誰と共に歩いたか。イエス・キリストと共に歩む人生の美しさ。
イエスのために。
イエスとともに。
イエスによって。
愛
動物は天国に行きますか?ペットは天国に行きますか?明確な答えは聖書に記されていません。
ただ、この言葉が聖書にある事を僕たちは知っています。「神は愛です」
イエスと出会ったあとのサンは、もはや、立派な馬に憧れるロバではありませんでした。神の祝福は想像を遥かに超えたものです。
ひとりひとりの事を名前で呼ばれる方。両手を広げて迎えてくださる方。
全ての全て。
イエス・キリスト
きみの瞳はなんて美しいのだろう。白馬になったとしても、イエスが褒めるのはサンの美しい瞳です。
金で舗装された道路。天国では黄金でさえもアスファルトのように使われています。地上の全ての富を足しても天国では道路の一部しかつくれません。
天の軍勢。ダニエル書を読むと、天使たちの数がどんなに少なく見積もっても2億以上いることがわかります。クリスチャンは強大な力を持つ天使たちさえも裁く存在になると使徒パウロは言っています。
僕たちがキリストの十字架を信じる信仰により、神の子とされたからです。
クリスチャンが受け継ぐ望み、神の国の栄光、キリストをかしらとする教会の素晴らしさを、僕たちがより深く、より鮮明に理解できますように。
【どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。】エペソ1章1:〜23節 口語訳
救い、信仰、天での報い。全て恵みによりいただいたものです。自分自身を誇れる人はひとりもいません。僕たちはキリストの十字架を誇ります。彼の死と復活を宣べ伝えます。
王の中の王。
わたしたちの神。
イエス・キリストはまもなくこの地に来られます。
最後まで読んでくださりありがとうございます。あなたに豊かな祝福がありますように。
↑聖書を読めます。
イラストを担当したMikuのホームページです。
作者のさとしとみくは、沖縄出身在住のクリスチャン作家です。沖縄から世界に福音を届けたい。イエス・キリストに愛された小さなロバとして毎日楽しく暮らしています。
沖縄にゴスペルを。 わたしの内におられるキリストは強い方。 御心のままに働きます。