今の自分が一番好き。でも心の痛みも増えてくる。

#この文章は何か伝えたいのではなく 、自分の心の声を具現化して、記録として残したいものです。特に何かメッセージがあるわけではありません。また僕はとっても元気です。

年末になった。今年は実家に帰らず、1Kの部屋でTVを見ながら年を越そうとしている。寒さ染み入る部屋に一人で佇む大晦日は、いつも以上に寂しさを感じる一方、これまでとは異なる過ごし方に対するワクワク感もこみ上げる。

一人でいることが多いこの年末、今年だけではなくこれまでの自分の歩みを振り返ることも多い。その中で思ったことは「今の自分が一番好き」ということである。あくまでこれは自分という人間を相対的に捉えたときの感情であることに留意いただきたい。

中学生のとき、どこの場にいても自分が主役だと思い込み、世界は自分中心で回ると思っていた。

高校生のとき、好きな事物に対して素直に好きと表現できなかった。

大学生のとき、いつも他人と比較して、弱い自分を寛大に受け入れられなかった。

社会人1年生のとき、他者の考え方を吸収できる最善の策であるはずの読書からずっと遠ざかっていた。

社会人2年生のとき、他者の話を最後まで聞けなかった。「聴くこと」が下手だった。

無論、上記の「できなかったこと」が今の自分ができるようになっているわけではない。ゼロ→イチに飛躍的な進歩は見られないが、今の自分は少し過去の自分よりも"まとも"になっているような気がする。一歩一歩、”善い人間”に向かって前進しているように感じる。

血も肉も、細胞レベルで物理的にも変化している自分が、精神的にも進歩しているように感じるのは良いことだと思う。過去の自分と比較しても今の自分が一番好きと思えるのは大変嬉しいことである。

その代わり、”変わることは痛みが伴うこと”と巷でよく聞くように、ふと過去を振り返るとすごく痛みが伴うことが多い。

この年になると、思い出話に花を咲かせることが増えてくる。友人や家族と過去の話をしたり、古い写真や映像を見たりすると、とても楽しい。ただいざその過去の自分を思い出してしまうと、今の自分よりも相対的に不完全な自分を目にすると、自分という存在に肩をガクッと落としてしまうようになった。

人間はどこまで行っても不完全な存在で、私なんか自分に対して全く自信を持てないヒトなので、いつまでも不完全な自分であり続けと思っている。過去の自分が不完全なのは当然のことであり、何も恥ずべきことはないとわかっている。

そんなことはわかっているのだが、ふと過去の自分と対面すると、実際の世界の自分がため息をついてしまったり、心が真っ暗になってその日1日落ち込んでしまったりする日もある。

再度述べるが、今の自分が変わっていくこと、いわば自分の物差しの中でよいと思っている方向に進んでいくことは、自分にとっていいことだし、これからもこの歩みは止めないで行きたい。でも過去の自分はいくら今を変えようとしても変わっていかない。自分が死ぬまで後ろを憑いてきてしまう。

この悩みに対する解決策は何も浮かんでいない。今28歳の私が心の中で最近考えてしまうことである。歩みは進めていきたいが、歩みを進めるほど、自分の中にだけ許せない自分が増えていく。過去の自分に対する寛大さや優しさを持てるような成長ができることが良いのだろうか。

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