最悪の想定という意味について考えてみました。

自分の周りでは、いわゆる最悪の事態 のようなものを考えコロナと向き合った結果、 自粛を延長すべし論 を唱える人も多いですが、僕は前記事(下記添付)で書いたように、慎重に考えつつも、現在のような過剰な自粛は段階的に緩めて行く方がよいという考えを持っています。


今回のことが長期化することによるウイルス以外のリスク と 現在の感染者数や重傷者数の推移 を考えると、どうしてもそういう考えに至ります。


自分は最悪のケースを考えたい… みたいな人も結構多いですが、最悪のケースを考えるってなんだろ??とよく思います。

というか、最悪って何??

今回の場合、重傷者、致死率がどこまで上がってしまったら最悪になるのだろう??


もちろん、それは人によっても差があるものでしょうが、そんなことを考え出したらキリがないし、そんなことを考え過ぎてしまうと、情報の取り方も自分が不安になるようなものにしか目がいかなくなってしまうのではないかと思ってしまいます。

それが悪いことだとは思いませんが、そういうのが、いわゆる過剰心配症候群というやつなのかもしれないなと思っています。

何も考えずに無視することも大問題だとは思いますが、未知のことを考える上で、過剰に心配してしまうこともやはり問題が大きいものなのだろうと思います。

とはいえ、その間に立つこと自体が実は結構ハードルが高いことなのかもしれませんが…。

(正直、間がどこだかもよく分かりませんしね)

未来なんて誰にもわからないであろうことを考えると、正確に物事を考えることが難しいのは当然のことなのでしょうけどね…


人は不安情報に流されやすい



今回、過剰心配症の人の言動が、知らず知らずに多くの人の不安感拡大に繋がってしまっていることが多いのも、しっかり考えたい事実だと思っています。

そのくらい、多くの人は周りの不安情報に影響を受けやすい ものだと思いますので。

そういったことを考えていくと、まだ正確に分かっていないことに対し、個々がどのように発信するかということは、今後も考えていかなければならない現代の課題(誰でも気軽に発信できる時代)なのではないかと思います。


それは今回の例を見ていても明らかで、注意を払いながら営業しているにもかかわらず、苦情の電話が鳴りまくったり、白い目で見られてしまう小規模経営のホテルやレストランがあるとか、もはや意味不明だと思っています。


僕の思う最悪の想定って、情報を正確に把握し、それに対しての全体のリスクを見積もった上で始めて成り立つもの だと思うので、「根拠のない情報」、「まだ明らかになっていないこと」、「おそらく全体の極一部であろう悲惨な状態」だけを見て不安になることを 最悪を想定している というのは少し話が違うと思います。

それは、ただの不安を煽る行動への加担にしかすぎないと思っています。(本人にその気が無くても)


まとめると

最悪の事態の想定というのは、まず情報を正確に把握し、何ができるかを考えながら前に進むことが大前提で、ただひたすらに不安を大きくし、自分にもよく分からないような情報を拡散し、自分が全く動けなくなってしまうことは決して最悪の事態の想定とはいえないと思います。

これは、今回のコロナ騒動以外でも当てはめられることなのではないか??と思っています。



そんなことを考えながら、過去のインフルの水際対策のデータや意義と効果などを調べていると、

今回のことも、ウイルスを水際対策だけでは完全に防ぎ切ることができないということを前提、理解すること と、新型インフルの時に改定された指針「重症患者数の増加に対応できる病床の確保と重症患者の救命を最優先とする医療提供体制の整備」や「院内感染対策の徹底等による基礎疾患を有する者等の感染防止対策の強化」に尽きるのだろうと思います。



新型インフルエンザ水際作戦の意義と効果


厚労省の新型インフルの当時の資料のページをみていると、まるで現在のことを指しているようです。

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