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「いろんな考え方があるからね…」で話を終わらせてしまうことに対しての違和感。


人それぞれ違った考えや価値観があることで、今の世の中が出来上がっていることを考えると、「多種多様である」ということはとても素晴らしいことだと思います。

畑仕事に置き換えても、生物の多様性のあるなしで大きく栽培結果が変わってきますが、多様性というものは、人間社会の発展にも大きく貢献してきた要素の一つであることは疑いようのない事実だろうと思います。


今日の記事は、その多様性の中でも、「人の考え方について」 思うことを書こうと思います。


僕は、人と話をしている最中に気になるフレーズや言い回しが幾つかあるのですが、その中の1つに「いろんな考え方があるからね…」というものがあります。

気にしていると、これは結構多くの人が使っていますが、その中でも大きく2パターンの使い方に別れます。


①「いろんな考え方があるからね…」で、その話を終えてしまう人。

②「いろんな考え方があるからね…」の後に、「で、自分はこう思う」と言ってきてくれる人。

の2パターンです。


②のパターンであれば、気持ち悪さも感じず、コミュニケーションの流れも滞留しませんのでよいのですが、僕にとっての問題は①のケースです。

このケースの場合、なんか妙な違和感を感じてしまうんですよね〜。

(心の中が、添付写真の赤ジャガイモの芽みたいななんともいえない感じになります(笑))


そもそもこの「いろんな考え方があるからね…」というのは、「自分の考えとは違うけど…」の言い換えみたいなものだと思いますので、自分の考えを言わずに終わらせてしまうことって気持ち悪くないのかな?? とよく思うことがあります。

とはいえ、言わない気遣い のようなものが有効に働いてくれることもあると思いますし、それを言ってしまったら後が面倒になりそう など、色々な関係性やシュチュエーションもあるかと思いますので、言いたくてもいえないケースもあるのだろう ということももちろん理解できます。

ただ、僕自身の話だけで言うと、やっぱり違う考え方もじっくり聞きたいですし、それを聞くことによって 自身にとっての大きな気づき や 互いにとっても建設的な話 につながっていく可能性もありますので、「いろんな考え方があるからね…」が会話中に登場した時は、「あなたはどう考えますか??」って、結構な割合で聞くようにしています。

(これに関しては、結構同じような考え方を持っている人って多いと思っていて、個人的には「多くの人は異なる考えをもっと聞きたいと思っているのではないか??」と思っていますが、どうでしょう??)

また、聞いてみるとしっかり話をしてくれる人も多いですしね。

(仕方がなくかもしれませんし、フルオープンではないとは思いますが)


気持ちを極力オープンにすることで、充実感の持続性を向上


上記で書いた通り、「相手の異なる考えを聞きたがれるか??」ということは、自身の成長にとっても、コミュニーケーションの質の向上にとっても、大切なことなのだろうと考えています。


仲の良い友人でも、応援している政治家が違ったり、時事に関する捉え方が違うことがあるように、「違う意見を持っていたとしても人間として嫌いな訳ではなく、会えばよく話をするし、一緒にお酒だって飲む」みたいな関係の人って、実際、自分の周りにも結構いたりします。


異なる考えを持っていることは、とても健全なことです。

異なる意見を皆が言いづらいというほうがおそらく不健全なのだろうと思います。

本心を話してみると、もしかしたら離れる人は離れていくこともあるかもしれませんが、必要性を感じてくれる人はいつまでも近くにいてくれることが多いと思いますので、そういったことを考えると、思ったことはなるべくちゃんと言っていったほうが、短い人生の中で自分とマッチする人と出会える可能性を高めてくれるものなのだろう と思っています。

自分の感情を外に出さないほうが、面倒もなく、無難に過ごせると思っている人も沢山いるとは思いますが、上記の通り、思いは極力オープンにしたほうが、長い目でみて、充実感の持続性の高い人生を描きやすくなるだろう と個人的には考えています。


僕は、自分の感情をオープンにして離れていくような人と出会うこともとてもよいことだと思います。だって皆違うのは当たり前のことですしね。

むしろ離脱されることは、自分の人生にとって前進以外のなにものでもないだろうとも思っていますので、いかに自分の感情と向き合い、自分の考えを伝えることができるか?? ということの価値はこれからも考え続けたいと思います。

長々、お読みいただきありがとうございました。

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