畑仕事の揺るがない価値


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一昨日は物凄い大雨でした。

我が家の畑もびしゃびしゃです…。


で、また今日も1日雨なので、今日も畑には入ることができそうにありません。


しかし、雨があるから植物はスクスク育つことができますし、その後の晴れ日のお日様に対し、一層のスペシャル感のようなものがでてくるような気がするので、雨には雨の良さが沢山あるものだ と思っております。

打たれたら打たれたで気持ちよかったりしますしね♪
(雨を感じるモードに心のスイッチを入れ替えないと不快感の方が勝ってしまいますが…(笑))


こういう時にはいつも、ボブ・マーリーの言葉

「雨を感じられる人間もいるし、 ただ濡れるだけの奴らもいる」 を思い出します。

日々起こることに対し、何を感じられるかによって、人の幸せや豊かさのようなものは大きく変わってくるものなのだろう ということは、何の分野にも当てはめられることなのだろうと思います。

このような、自然の仕組みの尊さをダイレクトに肌で感じられる生活をさせてもらえている自分の境遇に今日も感謝感謝です♪



現在、グローバル化に急激にかけられたブレーキにあたふたモードの人間界ですが、こんな時こそ、幸福の価値感を、勝ち負けや富でなく、思いやりとか助かけあいとか、普遍的な存在への感謝「今日も太陽が昇ってくれたから素敵な一日だ」のようなものに変えられると良いのになーと最近考えています。


経済か命か、どっちをとるの?? みたいな極端な話しまで持ち上がりだしちゃってる所もありますしね…


もしそれができるのであれば、多くのことが、もはやとてつもなく小さな問題に思えてきそうですし、そのスイッチを入れられるかどうかで、あらゆるクラッシュへの適応力も大きく変わってくるものなのかもしれないなーと思っています。

人間の底力向上のヒントが、そういうシンプルなことの中に沢山隠れているような気がしています。


とはいえ、そんな極端な切り替えが簡単にできるかといえば、それはとても非現実的なお話だと思うので、「そうはいってもねー」 という感じになる方も多いかもしれませんが、生命の根源的な存在を身近に感じられる生活をしていると、結構そのスイッチも入れやすくて、(僕の場合)、つくづく、畑仕事って本当に豊かなものだな〜と感じています。


食べ物を生み出せる行為としての魅力もそうですが、産業としての圧倒的な存在感人類にとっての根源的な存在や素材に肌で感じられる喜び生きることに直結する営み、いつの時代にも、畑仕事には大切なことが沢山詰まっていると思いますので、その揺るがない価値にこれからも感動し続け、その価値観を大切にし続けたいと思います。

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