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ヨハネの手紙第一2章24節ー25節

「初めから聞いていたこと」
心にとどめるようにとヨハネは言うのです。何をでしょうか。初めから聞いたことです。初めからとあるのですから、教会にとって初耳のことを今から語ろうと言うのではありません。何しろ、伝えられた福音のことなのですから。しかも過去から連綿と手渡され続けてきた福音です。うわっつらだけの理解では困るのです。これが本当の意味で自分のものとなるようにしっかりと心にとどめる必要があると言うのです。

中でも特にこの手紙がずっと強調してきたキリストの受肉と贖罪の信仰にとどまることが大切なのです。なぜなら、主イエスの受肉と贖罪抜きに私たちの罪の赦しはあり得なかったからです。罪の赦しがないなら、当然ながら御子との交わりも父なる神との交わりも失われてしまうからです。それなのに、この教えを打ち消してしまってはすべてが無に帰してしまうではありませんか。

それだけではありません。この福音には約束があると言うのです。しかも、それは御子イエス様からの約束です。これ以上確かな保証はないでしょう。それが永遠の命なのです。それでは、永遠の命とは一体なんなのでしょうか。単に時間的な長さを指しているのでしょうか。決してそういうことではないでしょう。むしろ、ここで問われているのは命の質の話なのです。神との交わりに生きることこそが永遠の命なのです。

そういう意味では、永遠の命とは死後用意されるものではありません。キリストを信じた瞬間にすでに与えられているものなのです。なぜなら私たちはこの地上において神との交わりの中に生かされているからです。従って、神の目から見るならばこの交わりが断たれていては生きているとは名ばかりで死んでいる状態もあり得ます。一方、この肉体が失われる状態になっても、尚生きているということも起こるのです。

いずれにせよ、福音によって生きる質が変わることが起こります。私たちに伝えられている福音とはこのようにすばらしい価値を持つものです。だからこそ、この福音の値打ちについてもっと深く知る必要があるのではないでしょうか。福音を信じていることに対してもっと強く自信をもってもいいのではないでしょうか。この価値ある福音を独り占めする必要はありません。もっと多くの人にこの恵みを分かち合っていこうではありませんか。

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