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詩編90篇

「限りある命だから」
モーセは永遠に変わらない神に思いをはせます。時間も空間も越える永遠の神があろうことが自分の人生と深く関わろうとして下さる。この桁違いの神と向かい合うならば、見えてくるのは限界を持つ自分の姿です。実際、人はいつか死にます。

圧倒的な存在である神の前にすなおに限りを認めることで、か
 えって謙虚になり、かえって豊かな人生が送れるとも言えそうで
す。限界を知らない人間は無茶をして暴走しかねませんから。意
味ある人生のスタートはそこからです。

モーセはこの神の怒りを敏感に我が身に感じています。神の聖さは人の心の奥底の罪を怒らずにはおれないお方なのです。この震えおののくような心地。畏れる心と敬う心が混ぜ合わさったような。この圧倒的な清さに向かい合うとき、ごまかしようのない人生の真実が見えてきます。

震え上がるくらいの恐ろしさも、人生には必要なのでしょう。怖いものしらずの人生はどこか危なっかしいのです。神を恐れ敬うことこそ、人が生きる道。神だけをおそれますと腹が据わる時、人はありとあらゆる恐れや心配から解き放たれて、自由にされることでしょう。

私たちはモーセ以上の確信を持って神にゆるしを祈ることができます。無限の神が限りある人の姿をとられ、限りある罪人の側に立たれた事実を知っているからです。実には心の中にはいろいろな願いが渦巻きます。病気のこと。経済のこと。人間関係のこと。これも人生です。それも祈りです。しかし人生のギリギリのところで出てくる叫びは、神よ、わたしをゆるして下さいという祈りでなくてなんでしょうか。あなたの罪はゆるされた。そのあたたかい一言で、主よ、わたしは生きていくことができます。

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