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第一テモテ2章8節ー10節

「礼拝者として」
礼拝と祈りを説くパウロは具体的にキリスト礼拝にふさわしい姿勢を語ります。特にエペソでは他宗教の全く異なる礼拝が捧げられていたので尚更、必要な指針です。

男性は怒ったり、言い争ったりせずに、祈るのです。自分の意見を通そうと、感情的に怒ったり、意見の違いが言い争いになる可能性を戒めます。念頭には間違った教えを語る偽教師の問題があります。論争は何の益にもならない。むしろ忍耐強くいつでもどこでも祈ることがすべての人の救いに繋がります。

同じように女たちもある通り、祈りは女性にも言わずもがなです。ただし、自分の身なりが与える影響には気をつけるのです。エペソの女神礼拝の秘儀では、女性の礼拝者は熱狂に我を忘れて礼拝中に着物を脱ぎました。あるいはスカートを腰までたくし上げて神からの豊穣を願いました。主なる神は決して物質的繁栄を保証する神ではない以上、欲望を助長させる礼拝のあり方は望ましくありません。

古代では派手な髪型や華美な衣装が性的逸脱や乱交を意味しました。これら逸脱行為は宗教とも密接に関係します。人がみだらな行いを見せると神々が欲情し、地の実りの豊穣や繁栄をもたらすと信じられていました。パウロは福音とは異質の価値観や風潮が教会の礼拝にまで入り込むのを懸念します。女性に求められるのは良い行いです。正しい礼拝は良き行いを生みます。

今の時代、礼拝にドレスコードはありません。議論が禁じられてもいません。求められるのは、男性であれ、女性であれ、礼拝において責任がある点です。責任ある自己として神のみ前に立ち、間違った時代の霊に呑み込まれないように主を仰ぐのです。

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