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青天を衝け 7

大河ドラマ「青天を衝け」22話では、渋沢栄一がパリに向かう様子が描かれます。一方、国内では徳川慶喜とイギリス公使ハリー・パークスとの関係が描かれます。このパークスは日本のプロテスタント宣教にも関係してくる人物です。
ハリー・パークスの祖父ジョンパークスはイギリス国教会の牧師でした。ハリーは早くに両親を失い、中国に向かったのは、姉が中国にいたためです。というのはパークスの従妹にあたるメアリー・ウォーンストールがドイツ人の宣教師と結婚して中国にいました。二人の姉はこの従妹夫妻を頼って中国に住んでいたのでした。
この宣教師の名をカール・ギュツラフと言います。わが国ではギュツラフ訳聖書(写真)に名を残す人物。ギュツラフが愛知県知多半島からの漂流民3人、岩吉、音吉、久吉と邂逅し、日本語訳聖書翻訳が進んでいくエピソードは三浦綾子の小説「海嶺」に詳しいです。
日本宣教を志して琉球まで赴くのですが、当時の日本はまだ鎖国中。中国で機が熟するのを待つ状態でした。ギュツラフは来日が叶わなかったのですが、この翻訳聖書を携えてへボン宣教師が来日を果たすのは1859年のこと。プロテスタント宣教師の第一陣ですね。
一方、ギュツラフと結婚したメアリーはマカオでの盲人教育に尽力した福祉家としての側面も持っています。メアリーの従兄が、ハリーパークスイギリス公使ですから、パークスとギュツラフ宣教師は親せきという関係性になります。
パークスの日本での任期は幕末から明治初期まで18年に及びます。パークスの徳川慶喜評は「今まであった日本人の中で最も優れた人物」というもの。
この時代を知るには日本国内だけを見ていてもわかりません。東アジア、特に中国との関係も視野に収める必要があります。中国と日本の間を行き来する宣教師をはじめとした欧米人の存在が少なくないからです。

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