短編小説:真っ白な空に黒を塗り足して。(後編)
2年3組 西丞香澄(にしじょうかすみ)。
同学年でこんな子が居たなんて、知らなかった。
私は2年1組に在籍。3組の生徒とは合同で体育や科学の授業で実験をするわけでもない。そもそも、他人にあまり興味を持てない性格だ。
今更ながらに、自分のコミュニケーション能力の低さと狭さに辟易する。
「珍しいね、來住(きすみ)さんが西丞さんのことを聞くなんて。何かあったの」
「あっいや。その、西丞さんっぽい人が下校時間過ぎてるのに校内をうろついていたから」
もう少しで夕暮れになろうという、陽射しが差し込んでいる風紀委員室。校内の見回り日誌を書いている私の隣で、クラスメートであり同じ風紀委員である綾川千鶴(あやかわちずる)がにっこりと微笑む。
おさげの髪型に、そばかすがトレードマークの小柄な子。
彼女の右手には、1年生のときに作った修学旅行のフォトアルバムがあった。
1時間前の出来事――屋上で西丞と出会った――がどうしても気になり、かなりアバウトな印象を綾川さんに伝えたところ、どこからともなく修学旅行のフォトアルバムを取り出し、西丞の写真を見せてくれたのだ。
綾川さんは私と正反対の人間。誰とでも仲が良いし、笑顔を崩さない。私が唯一、この人となら色々と話せると思っている。
「西丞さん、ねぇ。みんなから結構怖がられてるみたいだよ」
「へぇ。素行不良とかそういうのかな。喫煙とか」
屋上での一件が終わって、煙草を吸おうと思ったが、先生に雑用を押し付けられた。それが終わった後に屋上へ行ったが、西丞は居なかった。
もう帰ってしまったのか。あるいは、どこかで煙草を吸っているのか、定かではない。
「それは違うと思うなぁ。どっちかというと、西丞さんは冷たいというかクールというか。あんまり喋らないし、輪に入ろうとしないし。でも彼女、結構美人なんだけどなー」
うーんと唸る綾川さんを見て、それほどまでに西丞はミステリアスな存在だということを認識した。煙草、それもハイライトを平気で吸うなんて、マセてるにもほどがある。
それと美人――屋上のそよ風に靡く西丞のセミロングヘヤ。垢抜けた瞳に、サクランボのリップが乗った唇。
身長もそれなりに高かったし、ボーイッシュな風にも見れる――何を考えているんだ、私は。
「色々ありがとう。日誌も書いたし、私は帰るね。綾川さんはどうするの」
余計なことをあれこれ考えるのをやめる。日誌が挟まれたファイルを閉じて、私は椅子から腰を上げた。
「バレー部の友達と遊びに行くから、もうちょっとここにね。それじゃまたね、來住さん」
綾川さんと一緒に帰らないとなると、学校を出る前にちょっと一服しよう。
「うん。さようなら、また明日ね」
綾川さん、私が煙草吸ってるって知ったらどんな顔するんだろうなぁ。
***
この高校は、あまり部活動が活発ではない。校庭を自由に使っているのは、野球部ぐらい。
野球部が占領している校庭は、校舎寄り。そこから校舎側に離れて上を行くと、学校のフェンスがある。その境目に、雑木林。
しかし、雑木林がフェンスを乗り越えて繁殖してしまい、上手い具合に境目が隠れていた。そのおかげで、私は気兼ねなく煙草を吸える。
遠くで野球部の掛け声が聞こえてくる。
私は誰かが椅子代わりで持ってきたのか、それとも元々あったか分からない平べったい石に腰を下ろして、煙草を吸っていた。
メンソールの、キリっとした味わい。肺に煙を循環させ、息をするのと同時に吐く。それを何回も繰り返すと、いつの間にか咥えていた煙草は短くなっていた。
学校の自動販売機で買ってきたペットボトルのお茶を飲んで、一息。すると、落ち葉を踏みつける足音が鳴った。
ざっざっと音を立てて、こちらに向かってくるのが分かる。だけど、私は「誰が来た」のか分かっていた。
「見つけた」
抑制のない、女性の声。
私は顔を後ろに向けると、肩で息をしている西丞が居た。ずいぶんと私を探したといった感じ。自分もかなりアバウトな場所を教えたが、ここをよく見つけられたと逆に感心する。
綾川の前情報を聞く限りでは、熱心になるような性格ではないと思っていたが。
「よくここって分かったわね」
「屋上から出っていたときに、とりあえず探した。こっち来た時に吸い殻、あったし」
「捨て忘れかぁ。ここらへん、枯葉とか多いから小火には注意を払っているけど――西丞も気をつけなさいよ」
仮にここを使うなら、きちっとルールを守ってほしい。未成年喫煙している時点で、ルールもへったくれもないが。
一方、西丞はきょとんとした顔を浮かべながら、私を見ていた。何かおかしいことでも言ったのだろうか。
「名前、知ってたんだ」
彼女は自分の顔を指しながら、ぼそりと呟く。ああ、そういうことか。
「綾川っていう同級生に教えてもらったの」
そこまで言って、私は吸いきれなくなった煙草を9割方飲みきったペットボトルのお茶に入れた。そして、ブレザーから箱を取り出し、新しい一本を口に咥える。
「吸わないの」
ぼーっと突っ立ってて、なんだか様子のおかしい西丞に、私は咥えていた煙草を指した。つい親切心が働いた結果だ。
それを聞いた西丞は数秒ほどこちらをじっと見たのち、盛大に噴出した。
両肩を上下に動かしながら、愉快痛快といった風に笑いだす。
私は何のこっちゃ分からなく、ただ西丞の笑ってる顔を見るしかなかった。
初対面で、なおかつ彼女の全貌をまだ掴めていないが――きっとこんなに笑う西丞はレアだろう。
「ほんと変わってるね」
一通り笑ったのか、笑い泣きした西丞は右手の人差し指で涙を拭きながら言う。
変わり者。まぁ、確かにそうなんだろう。
あまり友達を作らなくて。
少しお堅い感じの風紀委員。
でも実は、喫煙者。風紀委員の仕事をしつつ、校庭の隅で一服。
「で、何の用」
わざわざ私を探しに来たのだから、それなりの用があったのだろう。
すると西丞は無言でこちらに近づき、回り込むようにして私と向かい合った。そのまま彼女はゆっくりと腰を下げて、視線を合わせる。
少しウェーブのかかったセミロングヘヤの左側を、西丞はかき分ける。すると、隠れていた左耳が外気に晒された。
同時に、キラリと光る物体が私の目に映った。それは、銀色に輝くピアス。小さな六角形の形をしていた。
「左耳にピアス」。私がそれの意味に気付くよりも早く、西丞は私の後頭部に両手を回した。突然の行動に、私は口から煙草を離してしまう。
西丞と私の顔が急激に近づく。彼女の吐息が間近に感じる。
「煙草よりも、こっちの方が良いと思う」
妖しい笑みを浮かべる西丞の言葉を皮切りに、私と西丞の唇が触れ合った。サクランボの香りが、力づくで私を支配していく。
***
雲一つない空というのは、きっと大人という段階を踏む前の私たちの身体。
年を重ね、色んな経験をしていくうちに段々と空は濁っていく。
やがてそれが真っ黒に染まった瞬間が、人生の終着地点。
真っ白だった私の空は既に濁っていた。それだけなら、まだ背伸びしたがる子どもで済まされる。
でも、この日を境に私の空は変わってしまった。
西丞香澄。
彼女との出会いが、私の空に黒色を塗り足した。
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