#232 「目の見えない人は世界をどうみているのか」第4章「鑑賞とは自分で作品を作り直す事」の理解ができた話
こんにちは!けーたです。
1週間以上前から「目の見えない人は世界をどう見ているのか」という本をコツコツ読んでいます。
本の分量は216頁と決して多い分量ではない本です。
ただし、目が見えない人が世界をどう見ているのか?という私がこれまで考えたことが無い問いに対して話が進み、本当にすべてが新しい学びと言っても決して過言ではないほど濃密です。
故に消化に時間がかかります。文章は平易に書かれており理解はしやすいのですが。。。
この本の学びを、売れているビジネス書の様に、今の課題感のソリューションとして抽出では、抽象度があわずにかなりもったいないのでは?
という思いもありコツコツ噛み締めて読書を続けております。
決して忙しい日々を言い訳にダラダラとやっているわけではありませんw
という事でここからは第4章の学びや気づきに触れていきます。
もし、まだこの本を読まれていない方は、問いの設定が秀逸なので学びが多いこの本を手に取られることをおススメします!
〇印象に残ったフレーズ
・見えない人がいる事でコミュニケーションがどう変わるかだ
いやーこのフレーズは深く深く刺さりました。
他人の目で見るのは必ずしも見ない人が見える人の目を使ってみるとうパターンではない。
見える人も、他人の目でみるし、場合によっては、見える人が見えない人の目で見る事さえもある。
つまり、見えない人がいる事でコミュニケーションがどう変わるかだ。となっており、確かに!!!
もし自分の周りに目が見えない方がいたら、きっと自分の鑑賞体験は確実にその方に影響を受けて変わると思う。(ネガティブではない)
街中であう、盲目によるステッキをもった方が反対側からあるいてきたときも、点字ブロックを見た時も自分の頭が何かをキャッチして少なくとも脳の中で何らかの反応が起こっている。
お互いのコミュニケーションの変化の種が生れているのだなと思うと自分の頭の中に刻みこみたいフレーズだなと思いました。
・見える人も盲目だ
この一見すると、見えている事が優れているという先入観を覆して、見えない事が優れているというような意味が固定してしまったら、それはまた一つの独善的な価値観を生むことになりかねない。
そうではなく、「お互いが影響しあい、関係が揺れ動く」とういう状態を造りたい。
「特別視」ではなく、「対等な関係」ですらなく「揺れ動く関係」これを当たり前の世界にしていこうとする姿勢に感動しました。
目が見える事、見えない事をそういう構造で捉える事ができるようになるのはどういう経験をしてたどり着いたのですか?と問いが立ちました。
〇まとめ
障害を触媒とみなす動き。
この言葉だけ取りだすとちょっと切り取られて嫌な気持ちを持たれるような表現な気もしますが、本書をここまで読んでくるとどんな世界を目指そうとしているのか(お互いの関係を探ろうとしているのか)深く深く考えさせられて、障害を触媒とみなすという表現も今は受け止められるようになりました。
まずは、自分の知らない世界を覗いてみる事。これが大事な事なんだなと改めて思いました。
誰かの選書の参考になれば幸いです。
ではでは
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