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命の使い方 6

こんにちは😊
本日はガンがわかってから手術に至るまでを書いていきます!
 
病院に行き最初に案内されたのは『腫瘍軟部科』原発不明なのでまずリンパや骨、筋肉にできる『骨肉腫』を疑われました。
この時は問診のみで次回P E T検査をする予約を取りました。
後日検査を受けに病院に行きました。
P E T検査で癌転移は肺だけでなく全身に。そして原発は下腹部にあることが分かりました。
原発は分かりましたが問題がありました。それは違う臓器の裏側、更に臓器に巻き付いていて手術は極めて困難との事でした。
次回はTクリニックでM R Iを撮る予約をし、今後の進め方は医師で話し合うので。
とこの日はそのまま帰ります。
 
どんどん明確になっていく症状。この時も自分では然程危機感はありませんでした。
しかし家内はこのままでは本当に大変なことになる。と感じ私にやりたい事はないか?
行きたい所はないのか?沢山聞いてくれました。
 
そこで私が行きたい場所として言ったのが『実家』だったそうで、家内はすぐにレンタカーを手配し、私と息子、娘を連れて私の実家まで連れて行ってくれました。
しかしこの辺りから私の体に変化が出始めます。
実家についても『倦怠感』が酷く動きたくない。『頭痛』も酷く0歳の娘の鳴き声が頭に響いて私は娘に向かって『うるせー!静かにしろ!』などと暴言を吐いていたそうです。
1泊して家に戻り予約のM R Iを撮りにTクリニックに行きました。
しかし、症状が進行しているようで『頭痛』『吐き気』『めまい』『倦怠感』が激しく横になる事すらできません。そして検査をするかどうか家内が看護師さんと話している最中に吐いてしまいました。
 
この状態を見た看護師さんが検査は中止。
すぐにK病院に行くようにと促され、K病院に行きました。
この時私は立つこともできずにすぐに車椅子に乗せられ処置室に運ばれました。
先生は私の状態を見るなり『緊急入院』の判断をしそのまま入院になりました。
そこで強力な薬を使ってもらい一旦痛みは和らぎました。
 
数日後痛みも和らいだのでM R Iを撮りました。
すると脳に転移していた細胞が大きくなっていることが判明しました。
原発よりも先に脳の細胞を取らないと脳幹を圧迫して『死』に至る状態まで進行していました。
 
6月中旬に病気が分かり約3週間でここまで進行していました。
手術を行う為頭にマークを付けられます。

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後日全身麻酔で手術を行いました。
手術時間おおよそ9時間。
術後、ICUで何となく目が覚めました。
その時に聞こえてきた会話に自分の身体が本当にヤバイ状態だとやっと気づきました。
会話の内容は『術後のレントゲンでまだ頭の中にがん細胞があります。明日もう1度開頭手術を行います。』でした。
かぶせるように家内が『えっ?明日ですか?手術に耐える体力は残っているのでしょうか?』と先生に聞いていましたが私の記憶はこの会話までです。
翌日15時2度目の手術が始まりました。時間にして8時間ほど。
ICUで目覚めた私は『あ。俺生きてる。』が最初の気持ちでした。

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↑手術の痕です。
 
私自身に記憶は全くありませんが、手術の間自分の家族と共に勤めている会社の社長もずっと一緒にいてくれたそうです。
手術室に担架で移動している私に息子がニコニコしながら
『パパいってらっしゃい!』と手を振っている姿が言葉にならない感情だったと後に教えていただきました。
 
2日連続のオペに初めから最後まで応援してくださった家族、義母、会長、社長、沢山の方々のおかげで今生きています。
感謝を忘れずこれからも生きていきます。
次回は治療について書いていきます。
読んでくださりありがとうございます!

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