言わねばならないこと
80年前の9月10日、桐生悠々が亡くなりました。
桐生悠々は、信濃毎日新聞主筆として1933年に社説「関東防空大演習を嗤う」を記し、軍関係者による不買運動等の激しい反発を受けて退社、その後、個人で『他山の石』を発行して軍部の批判を続け、発禁など弾圧を受けた言論人です。
彼が亡くなった約3ヶ月後、1941年12月8日に太平洋戦争が始まります。
戦前の軍国主義の空気に抗した言論人として、石橋湛山とともに私が尊敬している人物です。
東京新聞の社説「新聞の存在理由を問う 桐生悠々を偲んで」(2021年9月9日)でも「その報道姿勢は、今も私たち新聞記者のお手本であり続けます」と紹介されています。
金沢ふるさと偉人館を訪れたとき、「反骨のジャーナリスト桐生悠々」という企画展が行われていました。
そこに強く印象に残った言葉ありました。
「言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である」という言葉です。
「言いたい事と言わねばならない事と」との中で桐生悠々は次のように書いています。
言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。だが、言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である。何ぜなら、言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである。尤も義務を履行したという自意識は愉快であるに相違ないが、この愉快は消極的の愉快であって、普通の愉快さではない。
しかも、この義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少くなくとも、損害を招く。現に私は防空演習について言わねばならないことを言って、軍部のために、私の生活権を奪われた。(『他山の石』昭和11年6月)
インターネットが発達して、SNSなどでだれもが”言いたいこと”を発信できるようになった今日だからこそ、改めて「言いたい事と、言わねばならない事とは厳に区別すべきである」という彼の言葉を重く受け止めたいと思っています。
(本稿は2021年9月10日時点の情報に基づく記事です。)
文責 弁護士 大城聡
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