ゲームを語る定義
【日記】首領の日常#143
2020/04/13(月)
ゲームをプレイしていないのにそのゲームを語るというのは合っているのか?
結論から言うと私はゲームはきちんとプレイしてから良し悪しを語るようにしている。
FF13やFF15などトロフィーをコンプリートしたうえで、このゲームはどうなのだろうかと言うわけである。
しかし、同時にそれを他人に求めるのは酷であると感じる。
十人十色な世界の中、きちんとプレイしてから評価するというのは難しい。同時にファンであるという定義も同じくだ。
動画の視聴だけで済ましてしまうというのはメリットよりデメリットが目立つ。
そもそもゲーム動画に収益化を付けたことが間違いだと思うのだが...。
ゲームを売り出した後、そのゲームをどう楽しむのかは人それぞれであるというのが真であるとは思うが、世の中利益が上がらなければ物を作る意味がないと言える。
様々な視点からゲームを語るというのは多様に増えたが同時にデメリットもある。インターネットの初期から存在してきたゲームはある意味ほかのジャンルよりも先にメリットデメリットの波にのまれ、どうしようもなく現状は流れていると言えるだろう。
ゲームを語る定義は、”シンプルに遊んだ人たちの思い出の共有である”
そのためのコミュニティづくりが必要だと感じる。
そう思う今日この頃である。
以上
感謝!感激!全私が喜びます。 ”世界に誇れる日本のゲーム”を作れる漢を目指して、 日々精進いたします!