THE SHOOTO OKINAWA vol.5を振り返る

備忘録のごとく書いていく事にします。

圧倒的体調不良で出国不可の危機・・・

沖縄国へのフライト3日前。
いつもように会社業務と夜の指導を終え、帰宅。しかし24時を過ぎたくらいからどうにも頭が痛い・・・。
その日も指導でスパーに混ざってはいたが、特に殴られたような記憶もないし、もちろん外傷はない。それでも、あまりにも頭が痛くて脳内出血だったらどうしようと不安になる。
まぁそんな不安があったら絶対に寝てしまってはいけないのだけど、大丈夫だろうと思って寝てしまった。

次の日、目が覚めると体が動かない。

これが金縛りってやつか!?と疑う程に体が動かない。
そして極度の吐き気とだるさ。コロナか!?それとも精神的な奴か!?
等、色々頭を駆け巡るも、とにかくその時は

(沖縄修斗・・・どうしよう・・・)

という事ばかりを考えていた。

基本的に仕事は絶対に休まないと決めている(なんか負けみたいで嫌なので)自分だが、どうにもこの日はリモートでPCの前に座っている事すらできないので、諦めて会社を休む事に。
病院に行けるような体調でもなかったので、会社と夜指導のジムにだけ連絡して休みをもらった。
体調不良で会社を休むなんて、、、すげぇ敗北感だ、、、

とにかく寝て、夕方にようやく歩く事ができるようになったので病院へ行った。

体調不良の正体は・・・

色々検査してもらった結果、まずコロナではなかった。一安心。
そして言われたのは胃腸炎からくる脱水症状だろうとの事だった。

はて・・・。私は減量で何度も自主的に脱水症状になってはいるが、こんな症状に一度もなった事はなかった。でも確かに、水はあんまり飲んでいなかったような気もする。

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病院で点滴を打たれ、少し寝させてもらう事に。
睡眠不足と脱水症状で体が相当にダメージを受けていたようだ。まじでこの日はめちゃくちゃ寝た。病院への移動時間以外、全て寝ていたような気がする。
普段からのキャパオーバーが、ここで爆発したのかもしれない。
松根先生とマリコさんにLINEで報告して、もしかしたら沖縄行けないかもしれません・・・と弱気な報告。

ツイキャス・・・どうすんだよ・・・ともう泣きたいし気持ち悪いし体動かないしで最悪だった。
それでも最後には、「何とかします」という言葉と共に、回復を誓うのであった。

超回復

格闘家って、過酷な減量をして追い込んだ練習して、計量が終われば回復に努める人種なわけで。
個人的に色々経験して自分にあっているリカバリー方法がある。

1)計量が終わったらゆっくりと何回かに分けて水分を補給
2)次におかゆから始めて固形物、栄養があって消化の良いものを食べる
3)寝る。

これが最も効率的なリカバリーだという実感がある。
これは本当にめちゃくちゃ実体験で、全ての栄養素や水分が体中に行き渡っている感覚が自分でもわかり、音を立てるように体が修復されていくような感覚があるのだ。横になって目を閉じると、体を修復している音が聞こえるような。そしてそのまま寝てしまって、目が覚めると修復工事が終了しているような、そんな感じ。

これらのリカバリー経験を活かして、水分を補給、おかゆを食べて、とにかく寝た。20時間は寝てたと思う。
そして実際に、次の日には歩けるようになるまで回復した。

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翌日には会社業務もリモートでだましだまし乗り切り、夜はトボトボとジムへ。
くっそ体調悪いんですいません!と口だけ番長をしてそそくさと帰る。
明日には沖縄なんだけど荷造りもできてない、移動の時刻とかも調べられてない、けど、まぁ・・・もうなるようにしかならねぇと、適当にそれっぽい時間にアラームだけセットして寝る。

まさかの計算ミスが発覚

朝、目が覚めてソファにドサッと寝ころびながら、何となく空港までの到着時刻を調べる。

あれ・・・?

あと10分で家出ないと間に合わなくね?


と、変な汗がブワーと出ながら、配信の機材(冷蔵庫号)を高松大会の時のままに持ち出し、カバンには少しの着替えだけを詰めてダッシュで家を出る。
と言っても、この時の体調はまだ50%くらいで、ダッシュの速度も心もとないものだった(泣


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しかしまぁ、人間頑張れば何とかなる。
乗り換えでまたダッシュしたり、空港に向かう途中の電車の中で荷物の移し替えをやったりして時間を稼いで。
予定通りのフライトで東京を出発する事が出来た。

コロナ明けで計量が前日計量に戻るという事もあり、計量の配信もしたいなぁなんて思って、朝早い便にしたのが間違いだったのかもしれない・・・(笑)
飛行機の中で計量の時のテロップを作って、空港に着いたら松根先生が迎えに来てくださって、すぐにエバグラへ向かう。

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何はともあれ無事に計量配信もできて、

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その後には松根先生にご飯をご馳走になったり。
まだ胃も本調子ではなかったのですが、沖縄に来たらなんか急に食べられるようになって、意外と食べられた。
味付けが優しいからだろうか?
量はあんまり食べられなかったので、その分はpinkyさんが頑張って食べてくれました!!ありがとうございますpinkyさん!!!(笑)

大会前日恒例 孤独な準備作業

大会前日はいつも孤独にテロップを調整したり、オペレーション用のボタン端末にソースを割り当てたりして、当日作業しやすくします。

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こんなやつ。
これで当日のテロップ出しとか、映像出しとか、一人で簡単にできるようになるわけです。一人配信者の大きな味方!まぁでもこれ用意してる時は、やっぱり孤独なんですよね(笑)
独り部屋でポチポチと・・・。

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ちょっと仮眠を取ったら猛烈にお腹空いてきて、
いつも行ってるTシャツ屋さんの奥にひっそりあるラーメン屋さんへ。
泊ってるホテルからめちゃくちゃ近いのでいっつも重宝させてもらってます。

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この味噌ラーメンがすっごく美味しくて、やっと胃が100%に戻った感じがした。これなら明日も問題なくできる!と、大会前日の深夜にようやく確信を得る。
唯一心配だったのは、脱水症状の影響でガラガラになった喉で、当日実況ができるかどうかという事。

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大会当日はやっぱり喉がガラガラで大変だったけど、龍角散のど飴を10個食べながら乗り切りました。
配信自体のトラブルはなかったのですが、後から見直すとミキサーがバグってて、音声が聞き取りづらくてそれはもうめちゃくちゃ落ち込んだけど、取り返しはつかないんで・・・。ただただ申し訳ない。モニタリングしてる音声には何も問題がないのがまた厄介でした。でももう原因は特定できたので、二度と同じミスは起こしません。

今回は密かに新たなチャレンジを2つ

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まず一つ目は、会場のスクリーンへの映像投影。
今までは配信優先で会場内への配慮が後回しになっていたのだけど、せっかくあるスクリーンへ今回は映像出せるようにチャレンジしようと。
これで会場のお客さんもラウンド数や残り時間が分かるし、寝技の攻防になって見えにくくなったらスクリーン越しに試合を見る事もできる。
更に運営本部のタイマーに何か支障があった場合でも、こちらのタイマーで補完できるメリットもある。
大会によってはタイマーは運営が管理して、その映像だけをこちらがもらう大会もある。(その方が私は楽)
沖縄修斗では運営タイマーと配信タイマーは独立していて不干渉なので、わずかな誤差はあれど、お互いが補完できる関係性になっているのです。
実際、オープニングの柔術マッチではこのタイマーが運営側タイマーの補完に役立ったし、公式記録の裁定にも役立った。
これは大きな進歩だった。

残り10秒でカンカン!と拍子木が鳴って、そのタイミングでテロップが消える映像を皆さんも見た事があると思いますが、これは残り10秒間を際立たせるのはもちろんの事、運営タイマーと配信タイマーのわずかなズレを解消する意味でもとても重要な演出だったりします。

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そして2つ目が、沖縄修斗始まって以来初の2カメ体制。
これは本当に直前、松根先生にお願いして実現した事。アルバイトのしょうま君に急遽カメラを担当してもらい、カメラワークはその日に伝授。
多くはメインカメラの画を使ったけれど、サブカメラの映像でケージ内でのフェイスオフやメインカメラの対角の場所での寝技の攻防等で2カメ体制が威力を発揮しました。
使用したカメラは、私が発売日に買って(ここ重要)愛用し続けているZV-1
本当に万能でいいカメラ。こうして格闘技にも使えます。これ1台でアマチュア大会を配信した事もありました。

会場内への映像投影は私の技術的な問題だけで、実は以前から物理的にはできるものだった。ある程度ノウハウが貯まり、余裕が生まれた事で初めてチャレンジする事ができた。
2カメ体制も、予算とカメラマンさんさえ見つかれば可能という事が証明されたし。
限られた予算、限られた機材、限られた人員の中でも、これだけの事が出来るというところは見せられたのではないだろうか。

第1回大会から編集を担当させて頂き、第2回大会から配信をスタートした沖縄修斗。

「失敗したら俺が責任を取ればいいんだから。木暮の思うようにやってごらん。」

松根先生にそう言ってもらって始めた格闘技配信。
今では多くの団体から声をかけてもらえるようになり、格闘技配信が自分のアイデンティティーの一つとなった。

あの時の先生の言葉を思い出すと今でも泣きそうになるけれど、続けてきて良かったなと、しみじみ思います。

延泊沖縄

大体は大会翌日に空港で仕事をして、そのまま夜の便で帰る事が多いのだけど、今回は大会翌日のフライトが満席で、大会翌々日の便で帰る事になりました。
そこで、大会翌日はホテルで仕事をして、夜には松根先生、つの丸先生、ケニーさん、マリコさんとご飯をご一緒させて頂ける事になりました。

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ヤギの金〇食べたり、貝専門店で貝酒飲んだりさせて頂いて、楽しい夜でした(笑)
松根先生がつの丸先生にアドバイスを貰っている姿が、なんとも新鮮で。
やっぱり松根先生は沖縄のMMAを牽引してきた第一人者なので、アドバイスする側になる事はあっても、アドバイスをもらう側にはなかなか立つ機会がないというか。
自分には計り知れない苦労や苦悩がある中で、つの丸先生のようにアドバイスを下さる方がいて。
そのアドバイスを聞いて、時に、痛いところつかれたなぁという表情を見せつつも、幸せそうにしている松根先生の姿を見るのが私にとってもまた一つの幸せでした。

沖縄の感染者数も一時期0人になり、営業時間も元通りになり、こうしてご飯が食べられるようになったのは本当に嬉しいでした。
またオミクロン株とか第6波とか騒がれてますけどね・・・。これ以上感染が広がらない事を祈るばかりです。

お家に帰るまでが沖縄修斗

何はともあれ、無事に仕事を終えて東京へ帰る日になりました。

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空港へ向かおうと思ったら、何度探しても見つからなかった有線LANが机に不自然に空けられた穴からひょっこりこんにちはしていた。

お前・・・こんなとこにいたんか(笑)

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空港では毎回この場所で8時間仕事をしてから東京に戻ります。リモートワーク可の会社で働いていると、いつでも心が休まらない代わりに、ネットさえ繋がれば世界中どこでもいつでも働けるのがメリットですね。
こうして、貧乏暇無しの自分は、自己の給料の最大化に常に努めているのです(笑)

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フライトまでの空き時間で、いつも通り空港最上階の穴場スポットへ。
ここでポーク玉子おにぎりともずくスープを食べるのが、沖縄修斗締めくくりのルーティーン。

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帰りの移動中に配信を見直すのもルーティーン。
選手にとっての試合映像が、今の私にとってはこの配信一つ一つ。
試合を何度も見返したくなるように、配信を何度も見返してしまう。

終わりに

人生にはいくつもの出会いと別れがあって、そしてその中に、ずっと大切にしたい繋がりというものがある。
そんな大切にしたい繋がりが今ここにある事。本当に幸せに思います。

自分の代わりなんていくらでもいる。
それでも自分に何かを任せてくれたり、期待してくれる人がいるって事は当たり前ではない。

繋がりは、当たり前のようにそこにあるものじゃない。

繋がりってそこに在り続けるだけでも大きな努力が必要だと思うのです。真っ当に、真っすぐに生きてこそだし、ちょっとした原因で簡単に途絶えてしまうものでもある。

自分にはいつまでもこうして笑っていたい人達がいて、
仕事が終われば「お疲れ様」って言いながら苦労を労い合える人がいるから。

いつまでも止める事なく、大事にしたい場所です。



沖縄修斗から巣立っていった選手、関りがなくなってしまった人、たくさんいるでしょう。

でもどんなに小さな関りでも、繋がりあえた時間がある事に感謝しています。

またいつの日か、笑ってこの日々を振り返りたいですね(^^)


何はともあれ、大きなトラブルを乗り越えて、無事終える事ができたTHE SHOOTO OKINAWA vol.5
THE SHOOTO OKINAWA vol.6でまたお会いしましょう!


ご愛読いただき、誠にありがとうございます!