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映画音楽とマンゴー

女優のかとうかず子は、たけし軍団のそのまんま東と1990年に結婚。その後、そのまんま東は東国原の名で政治家になり、かとうかず子はそのタイミングで離婚する。 

当時も、今も、結婚の話も、離婚の話も、東国原氏の宮城県知事当選も、彼が頑張って宣伝した宮崎のマンゴーのことも、話題にはなっていたが、特段興味はなかった。でも、「かとうかず子」の名前だけは忘れることのできない名前で、彼女の名前は、私にとっては永遠の「映画音楽の人」なのである。

今日はそのことについて話をしよう。

中学生だった私は、中学生だというのに毎週のように銀座へとでかけていって映画を観ていた。映画に目覚めた中学2年生。部活も勉強もほったらかしで映画のことばかり考えていた。

そんな私が映画音楽の世界にはまることになるのは、忘れもしない、映画『ビバリーヒルズ・コップ』を観たことだった。そう、あの名インストナンバー「アクセル・F」のせいだ。

この映画が公開された1985年前後から映画音楽は、単なる映画の伴奏音楽としての価値だけでなく、独立して、一枚の音楽アルバムとしも販売できるようなものとして成立してくる。

その先駆けとなったのは、やはり『フラッシュダンス』(1983年)だろうし、『フットルース』(1984年)だろう。その後も、『トップガン』(1986年)なども、サントラブームを牽引した作品として歴史に名を残している。

そのなかにあって『ビバリーヒルズ・コップ』のサントラも名盤に数えられるだろう。特に、そのアルバムのなかに収録された「アクセル・F」という曲は、いまでも日本のテレビ番組で多用されていて古びてない。それだけでなく、発売当時は、インストの曲として当時のビルボードチャートで1位を獲得したほどの曲なのである。

覚えている人も多いだろう。エディー・マーフィー扮するアクセル・フォーリー刑事が活躍する場面ではかならずかかり、とても印象的な曲だ。曲を聞いただけで、エディー・マーフィーを思い出す。その逆ではない。

映画が終わるとどうしてもサントラ盤が欲しくなり、売店へと向かった。しかしサントラ盤は、中学生のお小遣いで買うには高く一度は断念したものの、一ヶ月と待たずに購入したのだった。

さてさて、話の主人公は「かとうかず子」である。話をもどそう。

かとうかず子は1980年代後半、FM東京で夜11時ごろから始まる映画音楽の番組でパーソナリティをやっていた。もうなんていう番組だったか忘れてしまったし、もしかすると毎日ではなく、ある特定の日だけの番組だったかもしれない。

自分の記憶を確かなものにすべくネットで調べてみたが、どこにもこの記憶は残されておらず、かとうかず子のWikipediaのページでもまったく触れられていなかった。オフィシャルサイトにも残念ながら掲載されていない。
まあ、そのうちに調べがつくだろう。

当時、まず映画音楽を扱う番組なんてこの番組をおいてほかに存在していなかった。たまにNHK-FMの週末の午後に特集する番組が組まれたことはあったが、レギュラー番組として映画音楽を扱っていたのは間違いなくこの番組だけだった。なにせ、当時はFMといえば東京がNHKの2つしかなかったのだから。私が知る限り唯一番組だと断言できる。

この番組は、毎回テーマを設けて当時かかっている映画や昔の映画音楽をかけていた。かとうかず子はあらかじめ用意されていた台本を読むだけだったが、あの語る声だけは繰り返し聞いたせいかよく覚えている。

この番組でもちろん「アクセル・F」はかかった。ケニー・ロギンスが歌う『フットルース』のテーマソングもかかった。スーパーマン、スターウォーズ、そんな有名すぎる曲は当たり前だが、グーニーズのテーマ音楽(あの音楽だ!)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデーマ曲(サントラを持っていた!)もかかった。

そんなかでも一番、記憶に残っているのは『ドクトル・ジバゴ』の音楽かもしれない。そもそもデイビット・リーンの昔の映画なんて観る機会もなかったから、未知の音楽だったといえる。『アラビアのロレンス』の音楽もよかった。

という具合に、この番組のおかげで多くの映画音楽と出会うこととなったのだった。
(つづく)


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